社会的防衛であって、個人のミスではない
社会的防衛とは、組織の伝統的な特徴、つまりリーダーに誇りを持たせ、部下に安心感を与えるような構造、戦略、文化などを守ろうとする、ほぼ無意識の集団的な行動のことである。人々がこうした伝統に投資するのは、それが必ずしも快適とは限らないものの、慣れ親しんだ場所という感覚、秩序立っていて予測可能な感覚、さらにはアイデンティティをもたらしてくれるためだ。
新たに加わったリーダーが、自分がその組織に呼ばれた理由である変革を実現するためには、組織の社会的防衛について理解し、それを乗り越えるべく慎重に戦略を組み立てる必要がある。
イザベル・メンジーズ・リースは研修病院を舞台とした古典的な研究によって、社会的防衛が実際に作用する様子を初めて明らかにした。この病院では上級看護師も新人看護師もシフトの組み方に不満を抱きながらも、ほかのやり方を受け入れることもできないようだった。患者へのケアが行き届かず、離職率が高いにもかかわらず、システムは何も変わらず。人間味も思いやりもないローテーション制度だったが、上級看護師はそれによって、この職業に必要な無関心さを新人看護師に教えられると感じ、新人看護師も患者の苦しみから距離を取りやすくなると感じていた。
この研究を機に、研究者らは多くの組織における社会的防衛の実例を明らかにしていった。通常、こうした伝統は当初はそれなりに健全なものだ。たとえば、研修中の看護師は無関心さを習得する必要があるし、現地のリーダーが成功するグローバル戦略に同調するのも賢明かもしれない。
しかし、時間の経過とともに、そうした伝統は組織を蝕む制約となっていく。人々に居場所を与えた伝統が、彼らをその場に押し留める要因となるのだ。だが、社会的防衛は既成のリーダーをその場に留めることにもなるため、彼らは原因を他人のせいにする可能性が高い。
誰もがそうした伝統に憤りを感じながらも、それをどう変えるべきなのかという話になると途方に暮れてしまうケースもある。
ディスラプターを求める機運が高まるのは、そのような時だ。こうして、状況を打破するために新たなリーダーが招聘され(より正確に言えば、誘い込まれ)るが、次第に疎外され、力を削がれていく。筆者は変革を担うリーダーが監視の罠に引っかかったり、「組織に合わない」という理由で解雇されたりするケースを目撃してきた。要するに、彼らは採用の際に求められた要求に応じたものの、まさにそのせいで拒絶されてしまったのである。
結局、表向きは伝統を打ち破るためであるはずの試練がすべて、裏では伝統を強化することになってしまう。もうおわかりのように、ディスラプターの採用は保守的な方策であり、無意識のうちに伝統の威力を見せつけ、自分が行った不合理な投資を他人のスタイルのせいにする手法なのだ。このダイナミズムに気づいていないディスラプターは、罠にはまる危険がある。
問題はスタイルではなく、スタンスだ
ソルディは、ぎりぎりのタイミングで状況を理解した。グローバル執行委員会との対決が近づく中、彼女は本当の問題は自分のスタイルではないと気づいた。問題なのは彼女のスタンスだったのだ。ソルディに期待された戦略面と文化面の変革は、自社のリーダー層のキャリアを支えてきたビジネス手法を脅かすものだった。そのメッセージを伝える、
こうした状況でよく聞かれるアドバイスは、変革を語る前に明確なプロセスを踏み、如才なく立ち回り、環境に溶け込め、といったものだ。だが、実際には、そうした対応は社会的防御の解決策にはならず、むしろ、それ自体が社会的防衛の一部となってしまうおそれがある。人はいったん環境に溶け込むと、採用の際に期待されたはずの変革を放棄してしまいかねない。周囲に同化することで、創造性が鈍ってしまうのだ。
とはいえ、代わりにどうすればいいのか。馴染むことが求められる伝統を打破したい場合、どう行動すべきなのか。
そのためにはまず、優れたリーダーシップとはスキルやスタイルの問題ではないという点を忘れないこと。リーダーシップの核心は伝統との闘いにある。リーダーとは常に伝統を守ったり、拡大したり、変更を加えたりする存在だ。つまり、伝統を大切にする、より正確に言うなら、伝統が実現しようとしているものを大切にする必要がある。
伝統とは目指すべき素晴らしいものを実現するための時代遅れの手法なのだという点を理解していなければ、単に伝統を無視するか、それに戦いを挑んでしまう。一方、その点を理解していれば、伝統に異議を唱える──組織の目指すものを存続させるために、何を残して、何を変えるべきかを議論する──ことが可能になる。
伝統を大切にすることが変化を可能にする
あなたが組織の伝統を大切に思っていないと周囲の人々が思い込んでいる場合、彼らはスタイルの違いを口実に、あなたの提案や存在を却下しやすくなる。しかし、実はあなたが伝統を重んじ、同じ意図を共有しているとわかれば、あなたからの批判さえも気遣いの表れとなる。
気遣いを示すためには、共有された意図、おそらくは組織全体の目指すもの(優れたコンテンツを適切な視聴者に届ける、素晴らしい医療を提供する、多様な人材の活躍をサポートするなど)について語ること、そして、あなたを厳しく批判する人々さえも、同じ目標を目指していることを認識する必要がある。
そのためには、自分が彼らに対して、彼らの大切にしてきた古い習慣や規範を捨てて、未来の構築に加わるよう求めている、と気づくことが必要だ。かつてはうまく機能していたのに、いまでは自身や組織を行き詰まった状況に追い込んでしまった社会的防衛を解体する作業に人々を巻き込んでいくためには、そうした気遣いが不可欠となる。変革の前に、まずは気遣いが必要なのだ。
ソルディを取り巻く状況が好転し始めたきっかけは、エグゼクティブ会議で自分の正しさを証明しようとするのをやめ、自分も彼らと同じようにこの会社のことを大切に思っている──だからこそ、新たな方策を提案している──と示したことだったという。CEOやそのチームと同様に、彼女もメディア業界を愛していた。優れたコンテンツを通して視聴者に情報を提供して、楽しませ、その過程で利益を上げようと尽力している点も、彼らと同じだった。
新たな手法で新規の視聴者層にリーチし、彼らに最適なコンテンツを開発し、新たな収益源を生み出す──彼女の提案はすべて、そうした狙いを実現するための方策だった。コンテンツを重視した視聴者中心のメディアビジネスに、ソルディは誰よりも献身的に取り組んでいたのだ。
同僚たちが彼女の思いに気づくにつれて、守旧的な伝統を守る必要性は薄らいでいった。彼らはソルディのもたらす変化が脅威ではなく、解決策だと理解したのである。こうしてソルディのプランは承認された。
数年後、ソルディは当時の会議を、自身のキャリアが飛躍した瞬間だったと振り返る。ディスカバリーの既存のリーダーたちはソルディを、自分たちとは異なる魅力的な視点を持つ「仲間」と見なすようになった。
ソルディのプランは大成功を収めた。すぐに他の地域でも採用されて、デジタル配信の先駆けとなった。4年後、ソルディの担当地域は米国国外で最高の収益を記録。ソルディは、デジタル変革のパイオニアとして業界内で高い評価を確立し、最近はイタリアの国営放送RAIの理事長を務めている。
彼女は気遣いを示すことをやめず、同時に異論を唱えることもやめなかった。時間をかけて防御的な態度は不要だと証明しながら、より効果的で採用しやすい方策を提案する──この組み合わせこそが、ソルディ流のリーダーシップだった。
"Driving Organizational Change-Without Abandoning Tradition," HBR.org, April 24, 2023.