アマーリオ・カレッジのロウリーハートと同様、カナダのアルバータ州エドモントン警察本部のエニナー・オケレは、革新的な「HELPプログラム」を開始した時、一度にすべての人を説得しようとはしなかった。これは、犯罪に手を染めるリスクのある人たちが問題を起こす前に支援サービスにアクセスできるようにして、犯罪を減らすことを目指すプログラムである。オケレはまず、この取り組みが実を結ぶと考えた警察官たちだけで活動を始めた。すると、1年も経たないうちに、成果が上がり始めた[注]。
長年にわたる科学的研究によると、ある人の思考および行動と最も関連が深いのは、まわりの人たちの思考および行動だ。つまり、多数派は、ほかの人たちを支配するだけでなく、ほかの人たちに影響も及ぼすのである。したがって、局所レベルであっても多数派をつくり出すことから出発するのは賢明なアプローチといえる。人はすべての物事を自分でコントロールできるわけではないが、誰と新しい取り組みを始めるかはコントロールできる。
この戦略は、アマーリオ・カレッジやエドモントン警察本部などの中規模組織だけでなく、超巨大グローバル企業でも効果がある。
プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)のミドルマネジャーであるジョン・ギャズビーが業務プロセスを改善するための取り組み「PxG」に乗り出した時も、最初は小規模に始めた。「ただちに大きなインパクトを生み出したいとは考えませんでした。まずは、誰か力になってあげられる人がいないかを探しました。そして、人々を助けることを通じて、小さなコミュニティを築いていったのです」と、ギャズビーは筆者に語った。それから4年後の現在までに、この活動に参加したP&G社員は6万人に上る。
アイデアではなく、成功を売り込む
変革を推し進めるカギを握るのは説得だと思っている人は多い。そのため、どのようにしてアイデアを売り込むかということばかりを考える。具体的には、スローガンを工夫したり、手の込んだプレゼン素材を用意したりするのだ。
しかし、実際には、説得したいという衝動を感じることは警告サインと受け止めたほうがよい。そのような心理になっているということは、不適切な相手に働きかけようとしているか、アイデアが不適切かのいずれかである。
それよりもはるかに有効なのは、早い段階で熱意を抱いた人たちと一緒に、大きな変革の土台を成す小さな変革を目指すというアプローチだ。ここで目指す変革は、目に見えるゴールがあり、複数のステークホルダーが関わっていて、より大きな変革への道を開くものでなくてはならない。それは必ずしも「小さな成功」をもたらす必要はないが、リスクが小さいものでなくてはならない。たとえ失敗してもあまり目立たず、変革を目指す取り組み全般の足を引っ張らないことが重要だ。
たとえば、アマーリオ・カレッジのロウリーハートは、多くの新入生がカレッジに恐怖心を抱いていて、駐車場までやって来ても、そのまま引き返してしまうことを知った。そこで、新学期の最初の数週間、入り口で教員に学生を出迎えさせることにした。また、エドモントン警察本部のオケレは、ホームレス問題に特化していて、警察とのコラボレーションに前向きな「ボイル・ストリート」と「ザ・マスタード・シード」という2つの団体と手を組んで新しい活動を始めた。
このようなアプローチに集中すれば、アイデアを売り込むことに忙殺されず、成功を売り込むことに時間と労力を割けるようになる。アマーリオ・カレッジの教員たちは、新しい取り組みを始めてほどなく、それまでより教室が多くの学生で埋まるようになったことに気づいた。エドモントン警察本部では、それまで、実は一部の警察官が人々への支援を確保するために個人的に尽力していた。新しいプログラムが始まると、そのような取り組みが行われやすくなり、規模も拡大した。
物事がうまくいっていると感じると、人々は自分もそれに参加したいと感じ、その活動にほかの人たちも呼び込むようになる。すると、その人たちがさらに新しい人たちを呼び込む。こうして、参加者が増えていき、ペンシルベニア大学のセントラが言うところの25%の臨界点を突破すれば、システムで広範な変化が起き始める。
成功を土台にする
著書Cascades(未訳)を執筆するための下調べをした時に筆者が学んだ重要なことの一つは、変化とは直線的に進むものではなく、ネットワークを通じ、人を介して広がっていくということだ。そのため、はじめのうちは注意深く物事を進めて、有効性がまだ実証されていない脆弱なアイデアを守ることが重要になる。新しい取り組みが失敗すると、その情報が拡散して、変革のアイデアそのものが説得力を失ってしまうからだ。
しかし裏を返すと、成功すればその情報が拡散して、さらに大きな成功につながる可能性がある。エコシステムの中の思わぬつながりを介して、成功が拡大し、深まっていくのだ。このような考え方の下、アマーリオ・カレッジは、「イノベーション・アウトポスト」という機関を設けた。それまでの成功を足掛かりに、変革を地域コミュニティ全体に広げたいと考えたのだ。
「小規模企業と中規模企業は、アマーリオ地域経済の原動力です。そのような企業の多くは、学習とイノベーションと結果を重んじている点で、私たちと価値観を共有していることがわかりました」と、イノベーション・アウトポストのマネージング・パートナーを務めるトッド・マクリーズは言う。「これらの企業は、高いスキルを持った働き手を必要としています。そこで、私たちは、アマーリオ・グローバル・フード・ハブなどの団体とパートナーになり、企業が人材を確保し、地域コミュニティの人々が良質な雇用を確保できるようにしようと努めています。この取り組みは、状況を大きく変えつつあります」
同様に、コロナ禍と人種対立の激化という状況下でエドモントン警察本部のHELPプログラムが目覚ましい成功を収めたことで、カナダ全土の警察が同様の取り組みを採用するために視察にやって来るようになった。P&Gのジョン・ギャズビーは、PxGで育んだ「変革のDNA」を社内のほかの部署に展開してほしいと求められる機会が増え始めた。
人々は、大きな変革が実現してはじめてそれに気づくケースが多い。そのため、大きな成功を収めたからには、最初から大々的な取り組みだったのだろうと思い込みがちだ。しかし、ほとんどの場合、そのような見方は事実に反する。新しい取り組みが大きな変化をもたらすのは、小さな成功を重ねて、規模を拡大させた結果なのだ。
一度にすべての人を説得する必要はない。はじめは、変革に熱意を抱いている少数の人たちと始めたほうがよい。このささやかな原則に従うことこそ、大きな成果につながるのだ。
[注]英語版編集部:この記述は、最初に英語版の記事を掲載したあとに更新した。
"To Implement Change, You Don't Need to Convince Everyone at Once," HBR.org, May 11, 2023.