
-
Xでシェア
-
Facebookでシェア
-
LINEでシェア
-
LinkedInでシェア
-
記事をクリップ
-
記事を印刷
ニューロダイバースな子どもの親は、組織に新しい能力をもたらす
ミーティングの途中で、筆者(ベン・ウェイバー)はポケットのスマホの振動を感じた。一瞬、心臓が縮み上がり、額にゆっくりと汗がにじみ出る。目を閉じ、学校からの恐ろしい呼び出しではありませんようにと祈る。だが、やはり学校からだった。ミーティングを中座して、廊下に出る。案の定、「お子さんに対応し切れないので、迎えに来てください」と告げられる。会議室に戻って顔を出し、「申し訳ありませんが、早退します」と言って、駅まで走って家へと向かう。ミーティングの残りは、道すがら、電話で参加した。
こうしたことは、この数カ月で10回ほどあった。半年後には、我が子は公立学校のシステムから締め出されてしまうかもしれない。
ニューロダイバース(脳処理の発達が非定型的)な子どもの親──本稿執筆者のベン・ウェイバーとカリファ・オリバーは2人ともそうだ──が体験する困難を説明するのは容易ではない。その理由は多くある。
メディアにおいてニューロダイバーシティ(脳の多様性)が正確な形で表現されていないこと、「完璧な」家族という神話、「完璧な」親になるとか「完璧な」子どもを持つというプレッシャー、ソーシャルメディアの幻想などだ。
しかし結局は、職場でさまざまなことに対処しなければならないうえに、背景にある事情の説明までするのは、あまりに負担が大きいということに行き着く。こうした困難を「自閉症」あるいは「発達の遅れ」といった言葉でまとめる人もいるが、この問題に対処したことがない人にとっては、その言葉が実際に何を意味するのか、まったくわからないだろう。
だが同時に、ニューロダイバースな子どもの親が困難に直面すると、子育てという試練の中で鍛え上げられた新しい能力を、仕事で活かせることになる。これは仕事関連のスキルに留まらない。計画立案や時間管理の面でいえば、首尾よく進行するためのタイムラインを予測するエキスパートであり、チームの目標を阻む障壁を目ざとく見つけることができる。
こうしたスキルを職場で活かすには、同僚に子育ての状況をさらに深く理解してもらう必要がある。
個々の生活の場面においては、理解不足が苦い思いにつながることがある。それは、家でのパニックを収めるために約束の時間に行けなかった時の友人の怒りであり、ベビーシッターを見つける苦労であり、こちらは一度も問題だとは言っていないのに、頼みもしないアドバイスをされる状況などである。そして職業生活から見る場合、ニューロダイバースな子どもの子育てにより、心身を消耗し尽くすこともある。
筆者らのような親は、さらに多くのサポート、そして柔軟性を必要としている。これ以上、戦いを増やしたくはない。組織は、従業員が仕事と子育てをさらに苦労なく両立できるようなシステムと手続きを提供すべきで、このような親が従業員全体にとって重要な資産になることにも気づいてほしい。
ニューロダイバースな子どもを育てることは困難な課題である。これはどうしようもない事実だ。ニューロダイバーシティへの理解の深まりという点において、社会は前進しているとはいえ、まだリソースは十分ではないし、社会的優先順位も与えられていない。基本的なサービスを見つけるのさえ、難しいことがある。米国では、ケアの質と利用できる支援サービスに関しては、州や市によって大きく差がある。
こうした事情を踏まえると、ニューロダイバースな子どもの親が非常に高い比率で労働力から脱落していることには、何の不思議もない。多くの場合、片方の親が子どもをフルタイムで世話しなければならないことが原因だ。特に適切なケアを手配する余裕のない家庭はそのような状況に陥る。組織は、道徳的観点からもパフォーマンスの観点からも、彼らが労働力として組織に留まり、活躍するために必要なサポートを得られるように、進んで介入しなければならない。
ニューロダイバースな子どもを育てる体験
ニューロダイバースな子どもを育てながら仕事をすると、予測できないことが多い。子どもの状態によって、必要なケアの時間、規模、変動性、頻度は大きく違う。日によっては一日中、物理的に子どものそばにいなければならず、カメラをオフにしてミーティングに出なければならないというケースもある。あるいは、たいていは特別な配慮を必要としないが、緊急的に席を外さなければならない日もあるという具合だ。
これらは、親の仕事へのコミットメントの反映ではないし、多くの場合、生産力や目標を達成する能力の表れでもない。子どものユニークで多様な能力をサポートしケアするという、家族への時間的なコミットメントも負っていることの表れなのである。
筆者(カリファ・オリバー)の息子は、3歳になる直前に教育の観点から、そして3歳になった直後に医学的な診断を受けた。赤ちゃんの頃の息子は元気いっぱいで、ほとんどの発達指標に早くに達した。保育所では、おどけた小さなリーダーだった。しかし時が経つにつれ、筆者は2つのことに気づいた。息子は複数の幼児が同じ場所にいてもばらばらに遊ぶ「平行遊び」を好み、ほかの子どもが関わろうとしても、あまり関わろうとしない。そして言葉を話そうとしなかった。
2歳半の頃、この子の人との関わり方はどこか違うと筆者は確信した。だが初めての子育てだったので、何を調べればよいのかわからなかった。インターネットは助けにならず、新米の親にとっては恐ろしい場所でもあった。医師からは、息子をよく観察するように言われたが、何を観察すればよいのかわからなかった。周囲のほとんどの人は「心配しすぎですよ。そのうち、きちんと成長しますよ」と言って取り合わなかった。それでも、筆者には何かが違うことがわかっていた。
幸いにして、筆者はリサーチマニアなので、研究論文や発達の早期介入についての論文や、州の支援プログラムに関する情報を読み漁った。非常に骨の折れる作業であり、筆者には大きな負担となり、不安になり、ストレスを感じた。それでも、職場ではいっさい、このことを口にしないで、いつも通りに働き続けた。
何か使えるサポートがないかと会社のリソースを調べた。保険も調べてみたが、適用されるものがあるかどうか、はっきりしなかった。そこで昼休みや早朝、勤務後のすべての時間を面談の予約や家庭訪問に充てた。そして疲れ果ててしまった。
しかし数カ月後にサポートが見つかり、息子は3歳の誕生日から、郡の早期介入プログラムに参加することができた。だがその後も、誰かに話そうという気にはなれなかった。まだ診断を十分に理解していなかったし、会社には配慮を示すものが何も見つからないとわかっていたからだ。ニューロダイバースな子どもの親としての役割は、職業的には意味がなく、職場では居場所がないと感じていた。