
価値観を反映したキャリアを歩み続けるために
充実したキャリアとはどのようなものか。
筆者らは大学教員として、仕事の世界へ最初の一歩を踏み出そうとしている大勢の若者たちを教えてきた。また、ジャーナリストや教員、建築家、コンサルタント、医療従事者など、さまざまな分野で活動するさまざまなレベルのプロフェッショナルたちについても研究してきた。
学生たちとのやり取りと、プロフェッショナルたちに対するインタビュー調査を通じて繰り返し目の当たりにしてきたのは、人々がどのような職を目指し、どのような職を辞めるかを決める際は、みずからの道徳的な価値観に沿ったキャリアを追求したいという思いが中核的な要素になっていることだった。
「道徳的なキャリア」を追求するとは、自分の道徳的な価値観を実践できる職に就くことを意味する。言い換えれば、何が正しく、何が善良かについて、自分の考え方に沿った仕事をすることと言ってもよい。しかし、実際に道徳的なキャリアを追求することは、時として難しい。組織内で持ち上がる障害、そして自分ではコントロールできない社会的・経済的ショックにより、そのようなキャリアを築いている中で、足を引っ張られる場合もある。
たとえば、経済の不確実性が高い状況では、生活コストの上昇やレイオフの脅威など、目の前の難しい問題に対処しなくてはならない。その結果、どのような職に就くかについて、痛みを伴うトレードオフの選択を強いられることもある。筆者らが研究対象にしたジャーナリストたちもそうだった。メディア業界が厳しい状況にあるために、「社会に真実を伝える」という道徳的な価値を実践できる職を探すことが難しくなっていたのだ。
筆者らは、これまでの教育活動と研究を通じて、道徳的な価値観を貫けるキャリアを追求するために有益な教訓をいくつか導き出すことができた。その中核を成すのは、みずからの「道徳的な目覚め」に意識を向けること、どのような仕事を道徳的に「純粋」と見なすかを考え直すこと、そして自分と同じ道徳的な価値観を持つコミュニティを探すことである。本稿では、道徳的なキャリアを歩むために、これらの戦略を機能させる方法について論じる。
1. みずからの「道徳的な目覚め」に意識を向ける
プロフェッショナルたちはしばしば、道徳的な目覚めを経験する。つまり、自分が実際に取っている行動と、そうありたいと思っている自分の間にずれがあることに気づいて、大きな転換点を迎えるのだ。
そのような目覚めは、私的もしくは社会的な出来事がきっかけになる場合もある。たとえば、ある人物は、大学で建築士を目指して勉強をしていた時に、巨大ハリケーン「カトリーナ」を経験したことが「目覚め」をもたらし、それがその後のキャリアの道筋を形づくったと語っている。
時には、組織内で自分の仕事を行う過程で道徳的な矛盾に気づく場合もある。筆者らが話を聞いた看護師の一人は、病院への寄付者をVIP患者として扱うことなど、病院における日々の慣行のなかには、医療の公平性の原則に反すると感じるものもあったという。このような認識が次第に積み重なると、自分の行っている業務と、道徳的なキャリアを築きたいという欲求が相容れないと感じるようになる。
特定の出来事がきっかけで目覚めたにせよ、少しずつ目覚めていったにせよ、道徳的な目覚めの経験は、時に漠然としていて、それゆえに心地悪く感じたり、集中を妨げられたりする原因になる場合がある。そうした不快な感覚を抱いた時、私たちはしばしば、とっさに問題から目をそらそうとする。道徳的な目覚めに対処するためには、現状を問い直さなくてはならない場合があることも、そのような反応を示しがちな一因だ。
しかし、道徳的なキャリアを築きたければ、そうした不快感に気づき、その感覚に意識を向け、状況を是正しなくてはならない。それを通じて、自分のキャリアを道徳的な方向に転換させるのである。実際、筆者らが研究したプロフェッショナルの多くは、この種の不快感に向き合うことができていた。