思いやりと組織力との相関

 悲劇的な出来事は、前もって備えようもない難題を突きつけてくる──。

 こう言うと、2001年9月11日の同時多発テロがまず頭に浮かんでくるが、このような例外中の例外といった事態のほかにも、経営者にしろ、社員にしろ、不幸は訪れる。そう、不幸は組織であろうと個人であろうと、おかまいなしなのだ。

 ガンと診断されることもあれば、思いも寄らぬ病気で家族を失うこともあるだろう。また、天災によって街全体が被害を受け、何百人という人たちが亡くなったり、怪我を負ったり、住居を失ったりするといった、よりスケールの大きいものもある。

 このような出来事は、当事者のみならず、同僚や友人、時には見知らぬ第三者やこの光景を目の当たりにした人たちに耐えがたい精神的苦痛を強いる。そして、この痛みは職場へも伝播していく──。

 将来への希望を求めて、人々が意味と理由を探そうとしている状況では、マネジャー読本などまったく役に立たない。とはいえ、このような艱難辛苦、ましてや混乱に集団が陥っている時、リーダーとしてやれることがある。あなたはその立場を生かして、みんなへの気配りを通して、組織全体に思いやりの輪を広げ、個人と会社に癒しをもたらすことができる。

 ミシガン大学とブリティッシュコロンビア大学のコンパッション・ラボが実施した調査によれば、思いやりという能力は万人に備わっているものの、組織がこれを制限する場合もあれば、逆に奨励する場合もあるという(囲み「コンパッション・ラボの概要」を参照)。

コンパッション・ラボの概要
 本稿は、コンパッション・ラボが3年間にわたって実施した調査に基づいている。なおこのラボは、ミシガン・ビジネススクールとブリティッシュコロンビア大学の共同プロジェクトである。
 調査は98年に始まった。1つの思いやりが新たな思いやりを生み出すという現象への関心がその出発点だった。それから数年にわたり、組織内の苦悩はいかに処理されており、思いやりはどのように生じうるのかについて探究した。
 そして、思いやるという能力には格差が存在することが明らかになった。組織メンバーたちが不幸な事態に見舞われた際、このような状況から抜け出し、いち早く立ち直るうえで、この能力との相関関係はきわめて高いことも判明した。
 我々は、重病や死、暴力といった痛ましい出来事の全プロセスについて詳細に調査した。事の始まりにさかのぼって、組織としてどのように対応したのかを追跡調査した。同僚たちの受難を目の当たりにした人々にインタビューしたところ、組織が癒しを促したり、あるいはこれを制限したりするのかについて、数多くの示唆を得た。
 最近の研究では、組織における思いやりの度合いが、従業員定着率とどのように関係するのかについて検証している。どのような行動が癒しをもたらし、あるいはこれを阻害するのかを把握するために、思いやりに関わる日頃の言動について漏れなく観察している。
 そして、2001年9月11日以降、我々の調査はその緊急度がいっきに高まった。この不幸と苦痛の影響が広まる現在、過去の調査結果を多くの人々と共有できれば幸甚である。

 人間性という至極当然ともいえる理由を超えて、組織に思いやりがあふれていることがなぜ重要なのだろうか。

 職場に思いやりの気持ちを呼び起こすことで、精神的ダメージを受けた人々の苦悩を和らげるだけでなく、挫折からいち早く回復できることにもなり、その結果、同僚との一体感が高まれば、会社へのロイヤルティも強まろうと考えられるからだ。

 だれかを思いやる、もしくはその様子を目の当たりにすることの効果は絶大である。このような気配りがあれば、自らの再起力と組織へのロイヤルティもより向上しようというものだ。