短期間で大胆な構造改革を5回も成功させた男

 1994年2月、ウィリアム・ブラットンがニューヨーク市警察本部(NYPD)の本部長に任命された時、多くの人が彼の前途を危ぶんだ。

 当時のNYPDは、年間予算20億ドルで3万5000人の人々を抱え、運営が難しいことで有名だった。管轄区域と予算分配は常に内輪もめの種で、警察官の給与は市内の平均値を下回り、昇進は業績とはほぼ無関係に実施されていた。

 犯罪率の増加には歯止めがかからず、マスコミは「ニューヨークは『ビッグ・アップル』ならぬ『ロットン・アップル』(腐ったリンゴ)だ」と評した。実際、多くの社会科学者がこのまま犯罪率が増加し続ければ、30年後には犯罪防止という点で警察は無力化し、起こった犯罪に対処するだけになると指摘した。

 ところがブラットンは、本部長就任から2年を待たずして、ニューヨークを全米の大都市のなかで最も安全な街へと変えてしまった。しかも予算を増額してもらったわけでもない。

 彼が在任した94~96年の間に、凶悪犯罪の発生率は39%減少し、なかでも殺人と強盗はそれぞれ50%、35%に減少した。そしてギャラップ調査によると、警察への住民の信頼は37%から73%に急上昇した。さらに署内の調査によれば、警察官の職務満足度は過去最高レベルに達した。

 当然ブラットンの評判はうなぎ登りで、96年には彼の顔写真が『タイム』の表紙を飾った。

 一連の流れのなかで最も印象深いのは、彼がNYPDを去った後も改革の効果が持続したことである。これは、警察署内の組織文化・戦略に根本的なシフトが起こったことを意味する。その後もニューヨーク市では犯罪率が低下し続け、2002年12月に公表された統計によると、全米の25大都市のなかで最も低かった。

 NYPDの建て直しは、一人の本部長にとってそれだけでも満足できる業績だが、ブラットンの場合、これは20年のキャリアのなかで達成した5つの成功例の最新版にすぎない。