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絶体絶命
「東京へ行って、苦境にあえいでいる日本の大手自動車メーカー、日産自動車(以下日産)の再建に一役かってくれないか」
ルノーのCEO(最高経営責任者)、ルイ・シュヴァイツァーから打診があったのは1999年3月、ルノーと日産が大規模な戦略的提携に合意した直後だった。
提携契約の締結によって、ルノーは日産株36.8%を保有し、これと引き換えに日産の負債6430億円を肩代わりすることになった。こうして世界第4位の自動車メーカー・グループが誕生することになった。
この提携は、双方にとって有意義なものだった。ルノー側は日産の北米市場での強さを生かして、北米進出の遅れを取り戻すことができた。
かたや日産の抱えていた負債の山は、ルノーの資本投資によって軽減された。さらに、革新的なデザインで知られたルノーとエンジニアリングの質の高さに定評があった日産は、互いに補完し合う長所も持ち合わせていた。
とはいえ、提携の成功は日産が黒字に転じ、業績を伸ばすことができるかどうかにかかっていた。シュヴァイツァーが私に託したのは、まさにその仕事だった。
彼が私に白羽の矢を立てたのも当然だったと思う。その頃私は、ボルボとの合併話が壊れたことによる後遺症に悩んだルノーの再建構想に、決着をつけたところだったからだ。
私たちは、激しい議論を呼んだヨーロッパの工場閉鎖という決断を下さざるをえなかった。国営企業の伝統が色濃く残るフランス企業にとって難しい決断だったが、私自身はこれ以前にも困難な状況を切り抜けた経験が何度かあった。