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連載『成人発達理論で考える部下の育て方とリーダーの成長』はこちら。
【注目記事】部下が「スキルは高いが、器が未成熟」な場合、どう育てればよいのか
なぜ成人発達理論の測定は「危険な力」を持つのか
本連載では、前回まで成人発達理論の測定手法を紹介してきました。第9回ではインタビュー形式、第10回では文章完成テスト、第11回ではFBIやCIAで用いられた「Lectical Decision Making Assessment」(LDMA)を取り上げました。
成人発達理論の測定手法を扱う際、最初に共有しておくべき前提があります。それは、測定はけっして中立な行為ではないという点です。これは測定の精度が高いか低いかという話ではありません。どれほど科学的に設計された測定であっても、それが「人を測る」という行為である以上、必ず関係性と文脈の中で作用します。
成人発達理論の測定が特に強い影響力を持つ理由は、測っている対象にあります。一般的な能力テストやスキル評価が「何ができるか」を測るのに対し、成人発達理論の測定は、「どのように世界を理解し、意味づけ、判断しているか」という、より深い内面構造に踏み込みます。これは、本人にとっても、組織にとっても、「人格」や「成熟度」に触れられている感覚を生みやすい領域です。
この時、測定結果は単なる情報としては受け取られません。多くの場合、それは「あなたはどういう人か」「あなたはどこまで発達している人か」という、自己理解や他者理解に直結するメッセージとして作用します。だからこそ、成人発達理論の測定は、使い方次第で大きな学習を生みますが、同時に、深い傷や固定化を生む力も持っています。
さらに重要なのは、測定が持つ権力性です。測定を行う側と、測定される側の間には、必然的に非対称な関係が生まれます。特に企業や組織の中では、測定を行う側が評価や配置、昇進に影響を与える立場であることも少なくありません。この非対称性がある状況で測定が行われると、測定結果は「参考情報」ではなく、「判断の根拠」「決定の正当化装置」として機能しやすくなります。
もちろん、測定そのものが悪いわけではありません。問題は、測定がどの文脈で使われるかによって、その意味がまったく変わってしまう点です。たとえば、本人の学習や内省を支援する目的で使われる測定と、昇進・選抜の判断材料として使われる測定とでは、同じ結果であっても、受け取られ方も影響も大きく異なります。
成人発達理論の測定が「危険な力」を持つのは、測定結果が未来を予測するかのように扱われやすいからでもあります。本来、発達測定は「これまでにどのような構造が、どの条件下で立ち上がっていたか」を推定するものにすぎません。しかし現場では、それが「この人はここまで」「この人はこの先もこの程度だろう」という暗黙の予言として使われてしまうことがあります。この瞬間、測定は理解のための道具から、可能性を閉じるラベルへと変質します。
また、測定結果が数値や段階として提示されること自体も、強い影響力を持ちます。数字や段階は、曖昧な言葉よりも「客観的で確かなもの」に見えやすく、人はそれに安心感を抱きます。しかし、その安心感こそが、測定の前提条件や限界、文脈依存性を忘れさせてしまいます。結果として、「この数値が示しているのは何か」よりも、「この数値で何を決めるか」が先行してしまうのです。
まとめると、成人発達理論の測定が危険な力を持つのは、それが人の内面構造に触れ、関係性の中で作用し、未来の判断に結びつきやすいからです。測定は常に、「誰が」「どの立場で」「何のために」使うのかという問いから切り離すことができません。この前提を曖昧にしたまま測定を導入すると、善意の育成施策であっても、本人の成長を縛る結果になりかねません。
だからこそ、成人発達理論の測定を扱う際には、手法そのものよりも先に、「この測定は、どのような関係性と文脈の中で使われるのか」を問い直す必要があります。この問いを立て続けること自体が、測定を安全に、そして意味のあるものとして使うための、最初の条件なのです。
採用や昇進に成人発達理論を用いることの罠
成人発達理論の測定手法が、特に慎重に扱われるべき場面があります。それが、入社選考、昇進・昇格、配置転換といった、当人の人生やキャリアに直接的な影響を与えるハイステークス・コンテクストです。これらの場面では、測定結果が単なる参考情報として扱われにくく、意思決定を左右する「決定的な材料」になりやすいという構造的な特徴があります。
本来、成人発達測定が示しているのは、「この人が、特定の問いや文脈の下で、どのような構造で意味づけを行っていたか」という、極めて限定的な仮説です。それは、可能性の分布を示すものであって、将来の上限や下限を確定するものではありません。しかし、ハイステークスな場面では、この「仮説性」が極端に見えにくくなります。
その第1の理由は、決定を下さなければならない圧力です。採用や昇進といった場面では、「最終的に誰を選ぶか」「誰を外すか」を決めなければなりません。この時、測定結果は、曖昧な議論を終わらせるための強力な根拠として機能します。「この人はこの段階だから」「このスコアが低いから」といった言葉は、複雑な判断を単純化し、決断を正当化してくれるからです。その結果、測定は「可能性の仮説」ではなく、「決定的評価」として扱われてしまいます。






