歴史に目を向けよう
ガルブレイスが(繰り返しますが、20年前に)指摘しているのは、カネの問題に関わる人間の記憶の貧困、記憶の賞味期限のどうしようもない短さだ。彼は前掲書をこのような言葉で結んでいる。「現在の不満と不協和音、およびその原因である満ち足りた人々の状況に対して、いつかは何らかの衝撃的事件が起きるであろうということを、本書を通じて理解するのは、ささやかとはいえ決して無意味なことではないだろう。」
いまさらながらガルブレイスの洞察に恐れ入るしかない。彼の言葉の16年後に衝撃的事件は現実のものとなった。金融資本主義の問題だけではない。逆説的ではあるが、われわれがいま味わっている政治や経済や社会の困難は、人間社会にとってまたとない啓蒙の窓を開くものだといえる。とりわけ、日本と日本人にとって、高度成長期以来、数十年にわたってゆっくりとため込んでいった根本的な矛盾を直視し、日本がよって立つ基盤を深く見つめなおし、人間社会の良識と知性を回復する機会が到来している、というのが僕の認識だ。
歴史を振り返ってみれば、人の世はどうしようもない「愚行の連続」だ。ことほどさように蒙昧な人間社会であるにもかかわらず、こうしてわれわれはいまの世を生きている。人間がこれほどまでに愚かであった(ある)にもかかわらず、こうしてなんとか人の世は続いている。考えてみれば、これはこれで驚嘆すべきことだ。人と人の世は、最後は信頼に足るものだと考えざるを得ない。
いろいろな人々がそれぞれにバタバタと生活している。これが人の世の中である以上、記憶の賞味期限が短くなるのは自然ななりゆきだ。ただし、賞味期限が短くなりがちではあっても、それを長くしていくこと、少なくとも長くしようという意識をもつことは可能だ。どんなに目先の変化や「激動」に目を凝らしていても、答えは見つからない。しかし、幸いなことに、われわれには歴史の蓄積がある。記憶の賞味期限を少しでも長くする方法があるとすれば、それは歴史に注意を払い、歴史を知り、歴史に学ぶことしかない。そして、それはガルブレイスの言うように「ささやかとはいえ決して無意味なことではない」のである。
先行き不透明なご時世だが(というか、人の世は「先行き不透明」でなかったことはいまだかつて一度もない)、現在は過去とつながっており、未来もまた現在とのつながりの上にある。このことだけは確かである。年の瀬にあたり、読者の方々にメッセージをお届けするとすれば、それはいまこそ歴史に目を向けようということだ。ネットや新聞や雑誌を読むと、さまざまな「激動」のニュースが目に入る。すくなくともそうした「瑣末な情報」に向けるのと同等の注意と関心を、歴史に振り向けていただきたい(手始めに名著『満足の文化』でも年末年始に読んでみるというのはいかがでしょうか)。
今年の途中から始まったこの連載をお読みいただき、まことにありがとうございます。いましばらくは続ける(つもりです)ので、今後とも引き続きご贔屓にお願い申し上げます。よいお年を!