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日本企業が見出してきたイノベーションの5原則
1979年、ソニー(現ソニーグループ)で働く大曽根幸三という無名のエンジニアが、小型のステレオカセットデッキにヘッドホンを付けた新製品を発表した。誰でも、どこでも、人に迷惑をかけることなく音楽を聴くことができる──。誰かに頼まれてつくったわけではない。同僚は「ばかげている」と言った。公衆の場でヘッドホンを着ける人なんているはずがない、と。上司は、録音機能のないカセットデッキなど誰も買わないと言った。
しかし、当時ソニーの会長だった盛田昭夫は、この新しい機器の可能性を即座に見抜いた。伝えられるところでは、盛田は長時間のフライト中にオペラを聴きたいと以前から思っており、自分と同じように、愛する音楽を自分だけの空間で楽しみたい人がいるはずだと確信した。
ウォークマンから得られる教訓は、いまもなお通じる。すなわち、消費者は必然的にスペックより利便性を選ぶこと、賢明な企業は顧客の意向に従うべきタイミングを理解していること、そして、画期的なイノベーションは常識に逆らう発想からしか生まれないことだ。
欧米のイノベーションにはお決まりの筋書きがある。市場機会を特定し、最良の解決策を設計し、機能を詰め込み、大々的に宣伝して売り出す。たしかに合理的であり、データに基づいている。しかし、それこそが、誰も求めておらず使いもしない機能で製品ロードマップが埋め尽くされる理由でもある。
一方、日本はこの50年、静かにルールを書き換えてきた。それは優れた技術によるものではない。初代ウォークマンの音質は平凡で、初代ゲームボーイの画面はひどかった。また、マーケティングが優れていたわけでもない。絵文字はマーケティングとは無縁だった。マンガやアニメは、もともと純粋に国内の読者向けにつくられており、海外市場は後回しだった。それでもこれらは世界中で膨大な量を売り上げている。
その理由は、日本のイノベーターたちが、新しいアイデアに人々が抵抗する心理的な要因と正面から向き合う一連の原則を、偶然見出したからだ。そして欧米の企業も、これらの原則を取り入れて成功している。
原則1:利便性は常に技術に勝る
1989年、セガ、NEC、アタリは、最先端のカラースクリーンと高性能プロセッサーを搭載した携帯ゲーム機で市場シェアを争っていた。一方、任天堂のエンジニアでゲームクリエイターの横井軍平は、ゲームボーイで正反対のアプローチをとった。画面は旧式のモノクロ液晶。プロセッサーは前世代のチップ。スペックを見れば勝負にならないはずだった。ところがゲームボーイは史上最も売れたゲーム機の一つとなった。何が起きたのだろうか。
横井は自分のアプローチを「枯れた技術の水平思考」と呼んだ。ゲームボーイの「見劣りする」画面と非力なプロセッサーは、製造が簡単で、子どもでも買える価格で販売できた。耐久性にも優れ、電池寿命(連続稼働時間)は競合他社の4時間に対して40時間に及んだ。
そして何より重要なのは、最高のゲームがそろっていたことだ。「スーパーマリオブラザーズ」に「ゼルダの伝説」。後に「ポケットモンスター」も加わった。
横井は根本的なことを理解していた。消費者は最先端の技術など気にしないのだ。彼らは生活を楽にするために製品を「雇う」。いわゆるジョブ理論で言えば、子どもたちが求めていたのは最も高性能のゲーム機ではなく、最も楽しいゲーム機だった。
この逸話は日本以外の国々にも示唆を与える。たとえば、クロックス。ファッションメディアは繰り返し、このフォーム素材の靴は「終わった」と宣言してきた。ディスコ以上に何度も死んだと宣言されてきた。しかしクロックスは生き残っている。なぜだろうか。
クロックスは任天堂と同じ原理を理解していたからだ。本当の問題、すなわち「靴について考える必要がない」ことを解決できるなら、誰も見た目の美しさは気にしない。医療従事者や子育て中の親、朝5時に犬の散歩をする人は、見た目でクロックスを選ぶわけではない。数秒で履けて、必要な時に素早く水洗いできるから選ぶのだ。
洞察:使いやすさは、機能より重要な場合が多い。付属の機能は利便性を高める一方で、複雑さやコストといった摩擦も生み出しかねない。技術的に「劣っている」ことが、戦略的に優れている場合も少なくない。
原則2:「世間は物事に独自の使い方を見つける」
SF作家のウィリアム・ギブソンは、「世間は物事に独自の使い方を見つける」(The street finds its own uses for things)と書いた。これはサイバーパンク的な未来におけるテクノロジーについて語った言葉だが、この言葉はまるでソニーのウォークマンでの経験を描写しているかのようでもある。
ソニーの経営陣は、ウォークマンは夜遅くまで試験勉強をする若者にしか訴求しないだろうと考えていた。しかし、世間の反応は違った。都会の住人は地下鉄通勤の単調さから逃れたがっていた。ジョギングをする人は走りながら音楽を聴きたかった。ティーンエイジャーは自分だけの音楽空間を求めていた。最終的に累計販売実績は2億台に達した。
同様のパターンは絵文字でも見られた。1999年、デザイナーの栗田穣崇は通信会社NTTドコモのモバイルインターネットサービス向けに、視覚的な装飾要素として絵文字を開発した。しかし、ティーンエイジャーはすぐにその記号に目をつけ、テキストメッセージで多用し始めた。やがてアップルとグーグルが自社のデバイスに絵文字パレットを組み込んだ。栗田が「クリップアート」として構想したものは、人類史上最も急速に成長する言語になった。
これは偶然の産物ではない。耳を傾けた結果である。どのような製品にも、つくり手が予想しなかった可能性が秘められている。ただし、人々が想定どおりに使う様子ではなく、実際にどのように使っているかを謙虚に観察するつくり手だけが、その可能性に気づくことができる。
このアプローチは日本市場の外にも通じる。ティックトック(TikTok)は当初、ミュージカリー(musical.ly)というバーチャルカラオケのプラットフォームとして始まった。しかし、ユーザーは自分で作成したショート動画を投稿し始めた。やがて、料理系のフードトック(FoodTok)や読書系のブックトック(BookTok)といったコミュニティが強い影響力を持つようになり、料理クリエイターというキャリアを発展させ、無名の作家を一躍ベストセラー作家へと押し上げた。こうしたユースケースは、いずれも当初の製品ロードマップには記載されていなかった。
しかし、ティックトックの親会社のバイトダンスはこの流れを受け入れ、人々が実際に反応しているコンテンツが優先的に表示されるようにアルゴリズムを再構築した。その結果、創業者たちが想像もしなかったユースケースをもとに、2000億ドル以上の価値を持つプラットフォームが築かれた。
洞察:顧客はあなたのために無料でR&Dを行ってくれる。そのためには、顧客の「誤用」に対してみずからのビジョンを守りたくなる衝動を乗り越えなければならない。
原則3:制約の力を受け入れる
1985年、任天堂のゲームデザイナーである宮本茂は、当時の新作ゲーム「ドンキーコング」に登場する主人公のキャラクターを考えていた。ただし、使えるのは16×16ピクセルのグリッドだけ。あまりに小さくて、細かい特徴はほとんど描き分けられなかった。
宮本は「引き算」でこの問題に取り組んだ。帽子をかぶせれば髪を描く必要はない。口ひげがあれば、口や鼻がなくても顔として認識できる。オーバーオールを着せれば、腕と胴体を区別しやすくなる。デザイン上のあらゆる選択が、ピクセルレベルの制約を解決した。
「制約があったからこそ創意工夫を迫られた」と宮本は語っている。その結果、切手よりわずかに大きいサイズのグリッドの中から、現代史上最も認知度の高いキャラクターの一つが生まれた。
この原則はツイッター(現X)の象徴的な140文字のツイートにも見られる。これは意図的な設計ではなかった。SMSの160文字制限のうち、ユーザー名に20文字を割り当てて、残った文字数にすぎなかった。ツイッターはこの制約を逆手に取り、インターネット時代の俳句のような表現形式を生んだ。
この発想を逆転させて、消費者の視点から見ることもできる。トレーダージョーズは1960年代、カリフォルニアのコンビニエンスストア・チェーンとして始まった。その後、セブン-イレブンが登場すると、この巨大企業と正面から競争できないと悟った創業者のジョー・コロンビーは発想を転換した──商品の選定という骨の折れる作業を、自分たちが顧客の代わりに引き受けることができるのではないか。
一般的なスーパーマーケットが5万点の商品を並べていたのに対し、トレーダー・ジョーズは4000点に絞り込んだ。この「少ないほどよい」という考え方が、トレーダー・ジョーズを米国で最も収益性の高い食料品店の一つにした。
洞察:制約がチャンスになる。適切な視点で捉えれば、制約は障害ではなく解決策になる。
原則4:まだ存在しない市場向けに製品をつくる
変革をもたらすイノベーションは、既存の市場に応えるだけではない。市場そのものをつくり出すのだ。そして、まだ存在しない市場は、調査をしても現れない。
1967年、根岸重一というアマチュアの歌手が、自分の歌声をスピーカーから流すことを夢見た。8トラックのテープデッキにマイクとクロスフェーダーをつなぎ、伴奏のテープをセットして、家族を集めた。こうして意図せず、世界初のカラオケパーティが根岸の自宅の台所で開催された。
この「歌える機械」は世界的な現象に発展することになる。しかし当初は、人前で歌うことに怖じ気づく人がほとんどで、風変わりな装置だと一蹴された。やがて、同様の装置を開発していた別の業者が、バーの従業員に報酬を払い、尻込みする客にマイクを握らせるというアイデアを思いついた。1曲の間だけでもスター気分を楽しむ人が増えるにつれて、カラオケは日本中に、そして世界へと広まった。
課題:イノベーションは、その定義上、抵抗を生む。イノベーターにとって大きな課題は、人々がためらいを乗り越えられるように、その抵抗をどう取り除くかということだ。
この原則は欧米でも事例がある。2009年、広告クリエイターのマイク・セサリオは奇妙なことに気づいた。ロックミュージシャンたちが演奏中に、モンスター・エナジーの缶に水を入れて飲んでいたのだ。スポンサー契約の都合でモンスターの缶を手に持たなければならなかったが、ステージ上で彼らに必要なのはカフェインではなく水分であり、こっそり中身を入れ替えていたのだ。その8年後、セサリオはパンクロック風のブランディングの缶入りミネラルウォーターと炭酸水「リキッド・デス」を立ち上げた。
従来の市場調査はこう叫んで猛反発しただろう──「水はタダだ。これは問題のないところに解決策を持ち込むようなものだ」
リキッド・デスはデータでは見えないものを直感的に捉え、その通説を覆した。顧客の“job to be done”(片付けるべき用事)は、水分補給ではなくアイデンティティーの確立だった。「ハードな見た目」のソフトドリンクは多くの人の心をつかんだ。クールに見られたいティーンエイジャー、パーティで浮かないようにしたいノンアルコール派。二日酔いなしで盛り上がりたいライブの来場者たちだ。
2024年3月時点で、この缶入りウォーター会社の企業価値は14億ドルに達している。
洞察:市場に応えることと市場を創出することを区別する。新しい市場をつくり出すためには、顧客が何を成し遂げたいのかという「ジョブ」を、たとえ本人たちが明確に言語化できなくても、理解しなければならない。
原則5:データが教えてくれないことを知る
私たちはかつてないほど顧客インサイトに恵まれた時代に生きている。A/Bテスト、分析、アンケート、行動追跡。しかし、この豊富な情報は諸刃の剣でもある。イノベーションが始まる前に、その芽を摘みかねないのだ。
データは、すでに存在する製品やサービスについて顧客がどう考えているかを教えることは得意だが、まだ存在しないものについて顧客がどう考えるかを予測することは苦手である。実際、ミニバンやVCR、そしてアイフォーンは、フォーカスグループ調査で否定的に評価されたことで知られている。
世界最大規模のマンガ雑誌「少年ジャンプ」を発行する集英社は、このパラドックスを熟知している。彼らは毎週、若い読者にアンケートを行って好きな作品を順位づけしてもらい、人気の低い作品は打ち切られる。いわばデータ駆動型の出版モデルだ。
一方で、会社はジャンプの編集者に、経験や直感、あるいは勘に基づいて判断する大きな裁量を与えている。その代表的な例が、鳥山明の「ドラゴンボール」だ。単行本の累計発行部数は3億部を超え、数十億ドル規模のアニメ・ゲーム帝国を築き上げている。おそらく世界で最も有名な日本のポップカルチャー・フランチャイズだろう。
しかし、1984年の連載開始当初、この風変わりなギャグ主体の作品は、読者アンケートでかなり評価が低かった。データは打ち切りを示していた。しかし、編集者の鳥嶋和彦は違う見方をしていた。
鳥嶋は、鳥山にはまだ大きな可能性があると信じ、コンフォートゾーンから抜け出すように促した。鳥山は作品の方向性を転換し、コメディ色の強い冒険物語から壮大な武術バトルへと舵を切った。読者は熱狂的に反応し、その人気はいまなお衰えることがない。
純粋にデータ主導の意思決定がなされていたら、「ドラゴンボール」は1年目で終わっていただろう。集英社がアンケートに盲目的に従っていたら、一つのシリーズを失うだけでは済まなかっただろう。文化的な帝国そのものを失っていたはずだ。
欧米にも同様の事例がある。2009年、スチュワート・バターフィールド率いるゲーム会社は「グリッチ」というオンラインゲームを開発していたが、ゲーマーに見向きもされなかった。一方、開発チームは社内用のメッセージツールをつくり、スラック(Slack)と名づけた。
バターフィールドは、このツールが他の企業でも使えるのではないかと気づいた。ただし、彼には企業向けビジネスの経験がまったくなかったうえに、メッセージング市場はすでに飽和状態だった。それでも彼はデータを無視して自分の直感を信じた。自分のチームがスラックを気に入って使っているなら、他の会社も気に入るかもしれない。
2021年にセールスフォースは277億ドルでバターフィールドの会社を買収した。もともと製品として売ることを考えていなかったツールの値段だ。
洞察:データを使って現在を理解し、未来を考える時は直感を信じる。データは「現状」を、直感は「可能性」を教えてくれる。
* * *
日本製品が長く支持され続けていることは、誰もが取り入れられる目立たないノウハウが存在するという証である。これらは日本にしかない原則ではない。しかし、日本はほぼすべての国よりも長い時間をかけて、より多くの業界で、それを一貫して実践してきた。
次によいアイデアが行き詰まった時は、機能を詰め込みたくなる衝動に抵抗してみよう。優れたイノベーションは、無理に推し進めるものではない。前に進みやすい道筋を整えるものだ。
日本の最も革新的なイノベーターたちは、規模を大きくすることで成功したのではない。人々が「イエス」と言いやすくすることで成功したのだ。ウォークマンの生みの親が理解していたように、そう考えればルールを書き換えることができる。常識どおりに考えれば、いつまでもそのルールに縛られることになる。







