インターネットの世界には、数多くの人々がかかわることによって知識が形成されるという「集合知」のエンジンがいまではいくつもあります。ウィキペディアもその一つでしょうし、ニコニコ動画も集合知のエンジンです。他のエンジンとどこが違うのか、と聞かれたとしましょう。具体的にしかものを見られない人であれば、「ウィキペディアはインターネット上の百科事典で、基本的には文字情報で、世界中に寄稿者が何人いて、項目が何万件で、世界何十か国もの言語で展開されていて、一日のアクセスがどれぐらいあって、それに対してニコニコ動画は動画サイトで、会員がどれぐらいいて、アップロードされている画像は年万件あって……」というようにひたすら具体の次元で話が横滑りしていきます。
川上さんの答えは、抽象化された本質から降りてきます。ウィキペディアは多くの人がかかわることによって、ある項目の記事がどんどん「より良いもの」「正解」に収束していく。それに対して意図的に答えを収束させないエンジンがニコニコ動画であり、そこに独自性があるというのです。
ニコニコ動画の戦略やサイトのデザインは、「答えを収束させないエンジン」というユニークかつ抽象度の高いコンセプトを忠実に具体化したものです。ニコニコ動画が独自のサービスを提供できているのも、抽象的な論理の裏づけがあってこそです。
たとえば、ニコニコ動画は会員のコメントを最新の100件までしか表示しない仕様になっています。なぜでしょうか。過去のコメントをずっと表示していると、話がどんどん収束していく。そうならないために、コメント表示を最新の100件に限定する。これにしても、答えを収束させないための仕掛けだというわけです。決して「コメント数が増えるとサーバーに負荷がかかるので……」というレベルの話ではありません。
コメントの表示件数をどうするか。それ自体は極めて具体的なアーキテクチャの決定の問題ですが、その背後には抽象論理がある。また彼はこんなことも言っています。
〈僕の理想って、「非効率な社会」なんですよ。すごい狭い世界だけをみてみると、そのなかではみんな効率的に一生懸命やっているけれど、社会全体でみるとすごい非効率。そういう社会が、きっと住む人にとっていちばん幸せな社会だと思っているんですよね。
全体の効率化をやるとつまらないでしょう。どの街に行っても同じチェーン店しかないみたいな社会って、効率的かもしれないけど、つまらない。それよりも非効率的な社会をもって、効率化を求めてくるグローバル化の圧力に対して拮抗できるような、そういう世界をつくりたい。もっと無駄なものを世界中に増やしたいんです。〉