成人発達理論の「段階」は、人を序列化するものではなく地図である
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サマリー:成人発達理論において、人の発達を「段階」で表現することに対し、人を序列化・固定化するのではないかという抵抗感を抱く人は少なくない。しかし本来、この概念は優劣を競うものではなく、世界の捉え方の質的差異を記述するための「地図」である。 本稿では、「段階」という概念の本来の意図や動的な発達理論による再解釈の変遷を整理し、言葉へのアレルギー反応が示される背景をひも解きながら、発達の質的差異を適切に理解し扱うための視点を提示する。

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なぜ「段階」という言葉に違和感が生まれるのか

 成人発達理論には、人の発達を段階化して表現するものが少なくありません。ただ、成人発達理論について議論をしていると、この「段階」という言葉に対する反応が大きく分かれることに気づきます。特に違和感なく受け入れる人もいれば、積極的にこの言葉を用いる人もいます。その一方で、「段階」という表現に対して強い抵抗感を覚える人も少なくありません。

 実務の現場でも同様の傾向が見られます。人材育成やリーダーシップ開発の文脈で段階モデルを紹介すると、「人を序列化しているように感じる」「固定的なラベリングにつながるのではないか」といった懸念がしばしば示されます。また学術的な議論においても、発達を段階として捉えることに対して批判的な立場が存在します。人の成長はもっと連続的であり、文脈や状況によって変動するものであって、明確に区切られるものではないのではないか、という問題意識です。

 このような違和感は決して的外れなものではありません。実際、これまで見てきたように、カート・フィッシャーのダイナミックスキル理論や、オランダのフローニンゲン大学を拠点としたフローニンゲン学派の研究は、発達を固定的な段階ではなく、文脈の中で揺れ動く動的なプロセスとして捉え直してきました。同じ人であっても、扱う課題や状況によって思考の水準は大きく変わります。この事実を踏まえるならば、「段階」という言葉が現実を単純化しすぎているのではないかという懸念が生じるのは自然なことです。

 しかし同時に、ここで立ち止まって考える必要があります。なぜこれほどまでに「段階」という言葉に対して敏感な反応が生まれるのでしょうか。それは単に理論的な精度の問題なのでしょうか。それとも、その背後には別の認識の枠組みが関わっているのでしょうか。

 この問いを深めるためには、まず確認しておくべき前提があります。それは、成人発達理論において「段階」という言葉が本来何を意味していたのか、という点です。ジャン・ピアジェやロバート・キーガン、スザンヌ・クック=グロイターといった理論家たちは、なぜあえて段階という表現を用いたのでしょうか。そしてその意図は、現在どのように誤解されているのでしょうか。

 本稿では、この問いを出発点として、「段階」という概念をめぐる議論を整理していきます。「段階」という言葉を使うステージモデルが何を捉えようとしていたのか、なぜ後続の理論家たちは別の言葉を用いるようになったのか、それでもなお「段階」という概念が持つ意義は何か。そして最後に、「段階」という言葉へのアレルギー反応がどこから生じているのかを検討します。

 この議論を通じて目指すのは、「段階」という言葉の是非を判断することではありません。むしろ、発達の質的差異をどのように理解し、どのように扱うべきかという、より本質的な問いに向き合うことです。その意味で本稿は、これまでの連載内容を統合し、成人発達理論をより立体的に理解するための補助線として位置づけられます。

「ステージモデル」は人を序列化するためのものではない

「段階」という言葉への違和感を検討するためには、まずこの概念が本来何を捉えようとしていたのかを正確に理解する必要があります。結論から言えば、ピアジェやキーガン、クック=グロイターといった理論家たちが提示した「ステージモデル」は、人を序列化するためのものではなく、人がどのような構造で世界を理解しているのかという質的差異を記述するための概念でした。

 ピアジェの理論において、段階とは単に「できることが増える順序」ではありません。それは、世界の捉え方そのものが変わる構造的転換を指しています。たとえば、具体的操作期(注1)から形式的操作期(注2)への移行は、単に難しい問題が解けるようになるという変化ではなく、「仮説を立て、それを検証する」という思考の枠組みそのものが成立することを意味しています。この時、起きているのは、量的な増加ではなく、質的な再編成です。

 この発想は、その後の成人発達理論にそのまま引き継がれていきます。キーガンは、人の成長を「意味生成の構造の変化」として捉えました。ここでいう段階とは、「どのような前提で世界を見ているのか」という心のOSの違いを示すものです。ある段階では他者の評価が絶対的な基準として機能していたものが、別の段階ではその評価を相対化し、みずからの価値基準を持つことが可能になります。この違いは、能力の優劣ではなく、世界の見え方の違いです。

 クック=グロイターの自我発達理論も同様に、段階を「意味づけのルールの違い」として捉えています。同じ出来事に直面しても、ある人はそれを脅威として受け取り、別の人は学習の機会として捉える。この違いは性格の問題ではなく、どのような意味生成の枠組みが働いているかによって生じます。段階とは、この枠組みの複雑さや統合度の違いを表現するための概念です。