繰り返し言う。知識の質は論理にある。知識が論理化されていなければ、勉強すればするほど具体的な断片を次から次へと横滑りするだけで、知識が血や骨にならない。逆に、論理化されていれば、ことさらに新しい知識を外から取り入れなくても、自分の中にある知識が知識を生むという好循環が起きる。
先ほどの二要因理論でいえば、「マイナスからゼロに持っていく」と「ゼロからプラスを創っていく」とは必ずしも連続しておらず、断絶がある。ここに論理の肝がある。この論理の有効性は、モティベーションや人事管理に限らない。企業変革やリーダーシップ、さらにはさまざまな政策や制度の設計にも使える論理となる。ハーズバーグの論理をもって最近の「税と福祉の一体改革」を眺めてみれば、問題の本質により近づくことができるだろう。「面白い」からやる勉強が、「意味がある」にもなる。一挙両得、ますます食が進むという成り行きだ。
「面白がる力」をつける
人間はわりと単純にできている。人間の本性と折り合いがつかないことはだいたいうまくいかないと思った方がよい。「面白い」から始めることが大切だ。「意味がある」と思って始めても、知識のインプットそれ自体は面白くないことがほとんどなので、すぐ挫折する。
ただし、である。論理の面白さを知る。これがなかなか難しい。論理に限らず、ものごとを「面白がる力」、これこそが人間の知的能力なり仕事能力のど真ん中にある。面白がれるようになってしまえば、だいたいのことはうまくいく。この真理は勉強に限らないが、勉強にもっともよくあてはまると思う。
どんな分野のどんな仕事でも、優秀な人というのは「面白がる才能」の持ち主だ。面白がるのは簡単ではない。もっとも奥深くコクがある能力といってもよい。時間をかけてでもそうした才能を開発できるかどうか、ここに人間の本質的な分かれ目がある、というのが僕の仮説だ。
自分のケースで考えてみてほしい。多くの人があからさまに面白がることでなくても、仕事や勉強に関して、自分で面白がれるようになったことが、誰にも一つや二つはあるはずだ。なぜそのことを面白がれるようになったのか。まずはその「論理」を考えてみることをお勧めする。面白がる力をつけるためのよい練習になるはずだ。