過去の事例でいえば、前回話した日産、IBM、常磐興産はいずれも(2)に相当する。しかし、顧客の離反や競争で既存の戦略ストーリーが相当程度破壊されていても、この3社のように結果的に変革を実現できる企業は稀だ。外的な圧力による破壊に加えて、さらに自ら一押しも二押しも破壊的なアクションを取らなくては既存の確立した戦略は変わらない。これが難しい。追いつめられると守りに入るのが人情だからだ。その結果、そのまま競争圧力による破壊に身を任せ、そうこうしているうちに破壊尽くされてジ・エンドとなる。

 何ら手を打たず、そのままずるずると破綻していくケースは論外であるが、自ら破壊に乗り出しても、破壊のし過ぎでダメになってしまうというパターンも少なくない。破壊するだけで創造がついてこないため、結果的に創造的破壊にならないという成り行きである。

 破壊と創造は文字通り逆向きのベクトルだ。この両者の折り合いをつけるのが困難なのは自明なのだが、少し前に話した「ポジショニング」と「能力」という2つの戦略思考と重ね合わせると、創造的破壊の抱える矛盾がよりよく見えてくる。

 かいつまんで言えば、こういう話だ。ポジショニングと能力のうち、破壊を可能にする戦略思考は前者の方である。自ら破壊に踏み込むためには、ポジショニングの思い切った変更(リ・ポジショニング)が欠かせない。これに対して、新しい何かを創るために必要となるのは能力に基盤を置いた戦略思考となる。

 ところが、そもそもこのポジショニングと能力という2つの戦略思考の折り合いが悪い。ポジショニングの戦略思考に優れた人は、ポジショニングに優れているというまさにそのことが理由となって、能力構築に注意が向かなくなる。逆もまた真なりで、能力構築の手練手管に優れた経営にとって、リ・ポジショニングは困難になる。ポジショニングと能力が放っておくとトレードオフの関係になりがちだ。にもかかわらず、創造的破壊はこの両者の絶妙のバランスがあってはじめて可能となる。論理的な帰結としては、だから創造的破壊は難しい、ということになる。

 

ご意見、ご要望は著者のツイッターアカウント、@kenkusunokiまでお寄せください。