つまり、まとめると以下のようになる。品質が事前に判断できず、失敗のコストが大きい場合、その市場は規制の対象になる。そして、その製品やサービスが特定可能な個人によって提供される場合、その仕事は規制を受ける専門職になる。もし規制を受けなければ、それを職業とする人が自分を「専門職」だと考えていようが関係ない。
この定義に基づくと、マネジメントは専門職ではないし、近い将来専門職になることもない。品質が事前に判断しにくいという点は該当する。だが、派手に報道される大失敗はいくつかあるものの、失敗のコストはそれほど大きくないと考えられている。ダメな企業幹部が短期的な損害をもたらすと思われることも多いが、そうした人々を解雇した後、企業は回復する。また、マネジメントは個人の活動というよりも、集団での仕事である傾向が強い。失敗は経営陣が全体としてよくない仕事をした結果であり、1人の仕事の結果ではないと考えられる。もちろんもCEOに批判が集中することもある。だが、問題はCEOが専門職とされるべきかどうかではなく、マネジメントが専門職とされるべきかどうかである。
また、私はバーカーの次の意見に心から賛同する。「統合のスキルはマネジャーをマネジャーたらしめる能力であり、マネジメント教育が専門職の教育と同じであってはならない理由の核心でもある」(注 :ここでいう「統合のスキル」とは、さまざまな職能分野、集団、状況の枠を超えて1つにまとめたり意思決定を下したりするためのスキルのこと)。さらに、統合のスキルはビジネススクールではほぼ例外なく教えられていない、という見方にも賛成だ。だが、バーカーの主張で私が同意しないところもある――「ここで重要なのは『統合スキルは教わるのではなく、みずから習得するものだ』という点を理解すること」という部分だ。
ここでバーカーは論理的な誤謬――私が自分の世界、つまりビジネス教育の世界で毎日見聞きしている誤謬――に陥っている。それは、何かが教えられていないから、それを教えることはできないという考え方だ。これは便利な言い分である。なぜなら、これによりマネジメント教育業界全体が何も変えようとせず、過去50年間教えてきた簡単なことを教え続けられるからだ。
統合スキルは間違いなく教えることができると、私は考えている。ロットマン・スクールでは、我々教授陣がこの課題をみずからに課している。実現は容易なことではない。マネジメント理論を前進させ、教育理論も発展させて、教室でそれらに命を吹き込む必要がある。わが校や他のビジネススクールがそれを実現できたなら――そして、統合できないことがマネジメント上の失敗を起こす大きな原因だと世界に示せたら――マネジメントはおそらく専門職に向けて動き出せるのではないだろうか。統合的に考える能力をテストされ、認定される専門職である。だが、まだ歩みは始まったばかりだ。
HBR.ORG原文:Management Is Not a Profession — But It Can Be Taught July 1, 2010

ロジャー L. マーティン(Roger Martin)
トロント大学 ロットマン・スクール・オブ・マネジメント
学長
著書に『インテグレ―ティブ・シンキング』などがある。