だから、ここでネイティブ広告の定義に挑戦してみよう。先述したような曖昧な定義はどれも、個々のフォーマット(サイズや技術的な仕様)とコンテンツ(そのフォーマットに収められる創作物)を混同している。私は、ネイティブ広告を次のように定義する。
「技術的なフォーマットとコンテンツの両面で、対象となる媒体のためだけに特化してつくられた広告(両方ともその媒体に固有――ネイティブ――のものであり、他のコンテクストでは使用できない広告)」
たとえば、あなたが購入したグーグル・アドワーズの広告は、ニューヨークタイムズ紙のウェブサイトに掲載することはできない。ハフィントン・ポストのツイッターのフィードに、あなたのプロモーションツイートを流してもらうこともできない。グーグルの検索エンジン(またはネットワーク)で展開される広告は、グーグルのプラットフォームに固有(ネイティブ)のものだ。ツイッター上のプロモーションツイートは、ツイッター上でのみ作成・実行が可能である。これらの広告のフォーマットとコンテンツは、その環境に対してネイティブである。
では、どんな広告でもネイティブ広告になるのだろうか。スーパーボウルで放映される広告は、スーパーボウルに対するネイティブ広告、あるいはテレビに対するネイティブ広告ではないのだろうか。そうとは言えない。テレビ広告は、伝統的に同じ方法で制作されている。スーパーボウルでの広告を「ストレージ・ウォーズ」(注:貸倉庫に預けられたまま所有権の期限が切れた物品からお宝を発掘するリアリティー番組)で流すとしても、変更を加える必要はない。フォーマットは一定だ。広告の内容こそアメフトのビッグイベントに合わせてあるが、フォーマットはテレビメディア全体で見られるありふれたものだ。
たとえば、アトランティック誌は"Where Design Meets Technology"(デザインと技術の交差点)というタイトルで、ポルシェをスポンサーとする社説を掲載した。これは、ネイティブ広告を推進する試みとしてメディアで称賛された例である。デジタルを専門とするメディア企業ディジデイはこう述べている――創刊155年の同誌によるこの広告は、「アトランティック誌のコンテンツそのものであるという印象を与える。より広くリンクされ、共有され、発見されやすいこのような広告によって、ブランドは魅力あるコンテンツを作成し、拡散できる」
このスポンサー付き記事は、本物のネイティブ広告だと感じられるだろうか。この記事がアトランティック誌に対してネイティブであるとする根拠は何だろうか。単に同誌の編集チームが、ポルシェの承認を得てコンテンツを作成・編集したという事実だろうか。ポルシェと同社を担当するメディア会社は、他のさまざまなオンラインのパブリッシング・プラットフォームでコンテンツの提供を申し出ることはできないのだろうか。つまるところ、これはネイティブ広告ではないと私は主張したい。完全な広告記事とは感じさせない、優れたコンテンツ・マーケティングであり、優れたスポンサー付きコンテンツに過ぎない。