刑事や医師、救命士などの職業は、映画やテレビでヒーローとして扱われやすい。一方で、企業の経営者はどうだろうか。米国の娯楽メディアでは、上司は悪者として描かれることが多い(日本でも似たような状況だろう)。その理由は、経営者の偏狭なマネジメント観にあるという。


 前回の記事「プロフェッショナルよ、職場での独立宣言の時は来た」に寄せられたコメントのなかに、「マネジメント層への中傷ではないか」という非難の声があった。もちろん、我々にはそのような意図はまったくない。でもたしかに、最近の多くの書き手はマネジメント層に批判的になっているように思われる。なぜ、メディアや大衆文化では上司は悪者として扱われることが多いのだろうか。このうってつけの例は、映画『モンスター上司』であろう。作中の登場人物は、脚本家の実体験に基づいているとのことである。

『モンスター上司』に登場するマネジャーのネガティブな描写は特殊な例ではなく、枚挙にいとまがない。1980年の映画『9時から5時まで』、漫画『ディルバート』、テレビのコメディ番組『ザ・オフィス』もほぼ同じような状況設定であり、むしろ上司が善良な役を演じている映画やテレビ番組を見つけるほうが難しいくらいだ。我々の記憶をたどれば、1970年代のテレビドラマ『事件記者ルー・グラント』ぐらいである。これが唯一の例ではないものの、その数の少なさは、一般社会におけるマネジャー像の何たるかを物語っている。

 さらに驚くべきは――そして憂慮すべきなのは――メディアでヒーロー扱いされるのがどのような人々か、という点だ。警察官や犯罪捜査官、医者をヒーローとして描く作品は、当然ながら数多くある。彼らは人の命を救う職業だから、ヒーローとするのは理にかなっている。だが、弁護士についてはどうだろうか? 彼らをヒーローとして描いている本、テレビ番組、映画はたくさんある。米国の文化には、弁護士にまつわる辛辣なジョークがこれほど溢れているのに、マネジャーが弁護士よりも低く扱われているのは悲しむべきことではないだろうか。皮肉なことに、近年のテレビドラマで最も共感を得ている「上司」は、『ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア』のトニー・ソプラノだ。殺人鬼のデクスターでさえヒーローの一種として描かれる時代なのだ。

 当然のことながら、優秀なマネジャーやリーダーは多く存在する。我々は研究を通して、ごく普通の名もなき人々が、部下や同僚から圧倒的な尊敬を勝ち得ている例を見てきた。ロバート・サットンは名著Good Boss, Bad Boss(邦訳『マル上司、バツ上司』講談社)のなかで、多くの優れたリーダーについて記している。またフォーチュン誌は毎年、「最も働きがいのある企業ベスト100」を発表しているが、これらの企業には多数の優秀なリーダーやマネジャーがいる。