成長の理論は、まず、内部成長、すなわち合併や買収をともなわない成長の理論として展開される。合併の重要性は、それが内部成長のプロセスや内部成長の限界に与える影響に照らした場合、最も評価しやすい。合併に関しては、多角化の議論のなかで若干触れるが、合併による成長を本格的に分析するのは第8章であり、これによって成長の理論の展開は完結する。その後分析の焦点は、企業の内部資源から、企業が大規模化するにつれて生じる特殊なタイプの外部条件の影響や、大企業と比べて小規模企業がおかれる経済のなかでの特殊な状況へと移る。これによって、企業成長にともなう成長率の変化に関する分析の展開が可能となる。最終的に、議論は、産業集中のプロセス、とりわけ変化を遂げつつある経済における大規模企業と小規模企業の相対的成長率に関わる問題へと進んでいく。
経済学者は、彼らの理論が応用可能と考えられる歴史的ないしは制度的環境を明確に示さないために非難されることがある。本書での分析は、私的利益のために運営され、国家によって規制されない(したがって、規制下にある公共事業、金融機関、あるいは「商社」さえ対象外である)法人化された事業会社のみを対象としている。この分析が適用できるのは、株式会社が事業組織の支配的な形態である経済だけで、したがって歴史的には、19世紀最後の四半世紀以降の時期のみにあてはまる。確かに、株式会社はいくつかの地域ではこれよりはるかに早い時期から広く利用されていたが、少なくとも西欧世界においては、この時期以前の製造業分野では支配的ではなかった。
製造業に対して株式会社や有限責任制の会社が採用されたことで、企業の業務展開の範囲や性質と所有者の個人的な資産状態との間の関係が断ち切られ、企業の成長や最終的な規模に対する最も重要な制限は取り除かれた。所有者が企業の財務や彼らの代理人の行動に個人的に責任を負っている限り、経営の権限を安全に委譲できる範囲はきわめて限られていた。また、広範囲な財務的関与、特に非流動的な工業資産への投資にともなうリスクを、所有者がどの程度すすんで引き受けるかにも明確な限界があった。事業の組織や機構は、今日では企業の所有者の個人的な地位と独立した存在となっているが、かつては決してそうではなかった。
私が考えるに、現代の企業の絶えざる成長は、1つの組織の活動の範囲と種類の絶えざる拡大として考えるのが最も有用だろう。その組織のなかで所有者の役割は重要であるかもしれないし、ないかもしれない。また、「本社経営陣」(あるいは企業者)ですら、きわめて重要とはいえ、あくまでその組織の一部分にすぎない。成長の理由を見つけ出すために注目すべきは、全体としての組織なのである。この考え方は、経済学者による「企業の理論」における「企業」の伝統的な経済分析とは明確な対照をなしている。経済分析では「企業」という言葉のもつさまざまな意味が混同され、多大な混乱が生じている。経済学者のいう「企業の理論」における企業は、一般の人々が企業として考える経済制度とはまったくの別物である。混乱を重ねることを避けるために、本書の最初にこの区別を明確にしておく。