次に、やはり生徒全員に、非常に難しい問題をいくつか出題した。1つでも正解できる生徒がほとんどいないほど難解な問題だ。そして全員に「今度は成績がとても悪かったね」と告げた。そして最後にもう1度、最初の問題と同じくらい易しい問題をいくつか出題し、失敗した経験が成績にどう影響を与えるかを観察した。
その結果、「頭のよさ」をほめられた生徒たちは、1回目と比べて3回目の成績が25%ほど悪かった。難しい問題でいい成績を取れなかった理由を「能力がないからだ」と考える傾向が強く、結果として3回目は問題に取り組むことをあまり楽しめず、諦めるのも早かった。
一方、「努力」を褒められた生徒は、1回目と比べ3回目の成績が25%もよくなった。問題に歯が立たなかったのは「頑張りが足りない」ためだと考え、3回目は問題に我慢強く取り組み、その体験を楽しむこともできた。
この実験について留意しておくべき点は、「頭のよさ」と「努力」をほめられた2つのグループが、能力の平均にも過去の成功体験にも差がなかったことである。全員が等しく1回目はよい成績をあげ、2回目には苦しんだ。2つのグループが唯一違った点は、困難をどのように受け止めたか――問題が難しいという事実が彼らにとって何を意味したか、である。「頭のよさ」をほめられた生徒は、自分の能力を疑い自信を失うのがずっと早く、結果として3回目に成績の低下となって表れた。
子ども時代に両親や教師から受けるフィードバックは、自身の能力に対する潜在的な認識を形成するうえで大きな影響を与える。能力を生得的で変えられないものと考えるか、努力と訓練次第で伸ばせるものと考えるか、なども影響される。学校で好成績を収め、「頭がいい」とか「賢い」、「なんて優秀な生徒だ」などとほめられたとしよう。こうしたほめ方は、「頭のよさや賢さ、優秀さといった性質は、(生まれつき)持っているかいないかのどちらかだ」という考えを暗に伝えてしまう。「頭がいい」とほめられた子どもたちは結果として、学ぶのが非常に難しいことに直面した時、それを「いっそうの集中と努力が必要とされる機会」と考えるのではなく、「自分が優秀さや頭のよさを持っていない証拠」だと受け取ってしまうのだ。
ちなみに、これは特に女性によく当てはまる。女の子は、自己を律することを男の子よりも早く学ぶ(行儀よく座って集中していられる、など)。そのため「いい子だね」とほめられる場面が多くなり、「いい子であること」や「頭のよさ」を生来の性質だと受け止めるようになりやすいのだ。たとえばドゥエックが1980年代に行った研究では、特に馴染みのないことや複雑なことを子どもに学ばせると、利口な男の子よりも利口な女の子のほうが諦めが早いことがわかった。また、女の子のIQが高いほど、諦めてしまう確率も高かった。それどころか、成績がオールAの女の子たちが、最も救いようのない反応を示したのである。