事業縮小を始めてからの10年、ミニット・アジア・パシフィックは幾度となく経営陣を代えて再建を目指してきたものの、大きな成果を上げることはできなかった。優秀な人材が指揮を執り、綿密な調査に基づく戦略が存在したにもかかわらず、なぜ再建はうまくいかなかったのか。それは、経営に社員が不在だったからであると迫氏は語る。29歳のプロ経営者が描く、老舗復活へのビジョンとは。
自社調査がない、これまでの経営陣に欠けていたもの
――営業本部長として成果を上げて、社長に任命されました。そのときの率直なお気持ちを聞かせてください。

ミニット・アジア・パシフィック株式会社 代表取締役社長。
1985年3月25日福岡県生まれ。2007年8月、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)社会学部卒。2008年4月、三菱商事株式会社に入社。2008年9月、バック・アパレルの製造小売ベンチャーである株式会社マザーハウスの創業期に参画し、日本での事業拡大、中華圏への進出等に従事。2013 年1月、ミニット・アジア・パシフィック株式会社に入社。東南アジア・中国事業の立て直しを経て、2013年7月より経営企画部長兼海外事業統括部長として営業・マーケティング体制の再構築に従事。2014年1月、同社常務執行役員営業本部長 兼 海外事業統括部長に就任。2014年4月1日、同社代表取締役社長兼営業本部長に就任。世界経済フォーラム(ダボス会議)による Global Shapers に日本の若手を代表するリーダーとして選出。
会社の改革をスピードアップさせたい、そのために社長になってほしいと、取締役会の決定で3月には社長に就任することが決まりました。営業だけではなく、会社をトータルによくしてほしいと言われ、「私に社長をやらせてください。ぜひやらせてほしい」という気持ちでした。
社長になれば、やれないことがなくなります。また、メディアのような対外的にも、対取引先にもそうですが、対社員と接するときの変化も大きいですね。営業本部長が現場に行くのと、社長が現場に行くのとでは社員の気持ちも違います。1つひとつのアクションの効果が上がるので、本当にありがたいと思いました。
――それまでの経営陣にできなかったことで、迫さんが変えていきたいと思っていることは何ですか。
ミスターミニットが事業縮小を始めてから10年近く、ファンドもユニゾン・キャピタルが3つ目です。ユニゾンの前はCVCというヨーロッパ系のファンドが入り、そのときにMBOを行って日本が本社になりました。さらに1つ前のファンドはヨーロッパから独立する以前に入り、UBSロンドンがグローバルの株式を保有していた時代です。ファンドが代われば会社も変わり、社長もころころ代わっていたのがミスターミニットという会社でした。
社長就任にあたって、過去10年ほどの調査をすべて漁ってみたんです。そこで発見したことは、この会社を象徴していると思います。ファンドが代わるたび、社長が代わるたびにいろいろな調査をやっていました。顧客調査、競合調査は本当にしっかりしたものでした。ところが、自社調査が1つもなかったんです。社員がどういう気持ちで入社したのか、どんな人がいて、何をやりたいと思っているのか、そういった調査がまったくない。
ああ、だから失敗したんだと思いました。社員不在だったんです。ありとあらゆる調査があり、何度もリブランディングもしていますが、全部失敗しています。いま、ミスターミニットのブランド認知はまったくありません。なんとなく青い店がある、鍵をつくる店だと思っている人もいます。これだけの店舗数があるにもかかわらず、まったくブランドをつくれていないのがうちの会社です。
――当時行われた調査そのものは、妥当な結論だったと思いますか。
妥当です。とてもよく調べていました。ただ、現場のことは考えていなかったから失敗した。賢いだけの人がやるとこうなるという典型だと思います。「3C」と言われるように、Customer(顧客)、Competitor(競合)、そして、Company(自社)があるべきにもかかわらず、外ばかりを見ていました。顧客調査、競合調査は重要ですが、そこに自社があってこそ最適解につながるはずなのに。
ダメな会社で働かなければいけない人は、本当に不幸だと思います。これまでは、心の病を抱えてしまう人が増えたり、実際にそれで辞めていった人も1人や2人ではありません。働いていても楽しくない環境だったと思います。社員と話してみるとわかりますが、とてもいい人たちばかりで、真面目な社員が多いんです。でも、過去はそれをまったく見ていませんでした。