視点2:PR発想とは、「賛否両論を受け止める」ことである。
広告発想が嫌う考え方でしょう。シェア100%達成はむつかしく、競合他社との共存、すみ分けが成熟社会ゆえの姿でしょうが、「買わない人はいても、反論は欲しくない」と思うのが広告的な発想かなと思います。もちろん無用な議論は不毛に過ぎませんが、PR発想には「異論反論を受け止める」度量が必要です。細かく反論するべきかどうかは、また別ながら。
一般的に記者や編集者、メディアの編集部門は対立する構造をよく取り上げます。あえてその対立構造に乗っかっていくプランニング、あるいは賛否両論をわざわざ巻き起こすような考え方。多くの商品、特に事業規模の大きいブランドや企業にとってはかなりの冒険であることは確かです。すでに一部の商品では、そうしたプランニングが実践されています。情報があふれかえる社会の中で、生活者に「自分ごと」化してもらうためには、あるいは新たにファンになってもらうためには、「最初は反対だったけど・・・」と生活者からフェイスブック上で述懐されるような企画もアリな環境です。
視点3:PR発想とは、「具体的な言葉で表記することが必要」である。
旧来型の広告と比較して、PR的な施策は相当にインタラクティブです。PRの正式名称は「パブリック・リレーション<ズ>」と最後が複数形。成り立ちのそもそもから双方向的でありました。人間同士のインタラクティブなヤリトリとは、それが話し言葉であろうと書き言葉であろうと、最終的には具体的に表記できる言葉として結実します。ヤリトリする相手はメディアの記者・編集者であっても生活者の方々であっても。広告的なキャッチコピーと違うのが、ここ。相手からの質問に対してどんな言葉で応えるか。方針、コンセプトは当然あるのです。それは分かるし共感もしている。で、そこから先が実は相当なハードルで、具体的な言葉にすればするほど、「ちょっと違う」などの異論が身内からも出てきます。広告的なコピーとは違う言葉遣いが必要とされます。
特に“お詫び系”のコミュニケーションで顕著になりますが、「じゃあ、なんて云うの?」「それは、広報(PR担当者)が考えてよ・・・」そんな応酬が行われることがそこかしこで起こっているのではないでしょうか?
かつ、広告コピーと違う点が「理解を得られる表記・言葉であるかどうか」。ある意味で相手の想像に任せてしまうことが悪い方向に出ることもありえます。あえて表現ではなく、表記と記する理由です。PR発想には、具体的な表記力が必要なのです。
視点4:PR発想とは、「俳句を詠むこと」である。
俳句には季語が必要です。PR発想にも季語=歳時記に基づいたアイデアが欠かせません。それもあって、PR発想で大事になるのが「●月●日」という日付。コミュニケーションを「上旬」などの期間で区切るのではなく、デイの単位でシナリオ化していくのがPR発想ゆえの特長です。
現実として、広告会社においてはクライアントからのオリエンテーションにおいて、新商品の発売日、は鉄板のルールとして降ってくるのが基本だと思いますが、PRパーソンは(そうそう簡単にいかないことは重々承知ながらも)「発売日を変えませんか?」と提案したくなることがあります。割とビックリされることがあったりして・・・そうか、PRらしさはこんなところにもあるんだな、と自覚する次第です。
さらに、俳句には5・7・5の厳しい字数制限があります。限られた字数の中で商品やブランドの、あるいは経営計画や社長、そして企業ブランドの魅力、磁力をどうやって表記するか。いつも頭を悩ませるところです。PR的な5・7・5、いくつかあります。例えばヤフー!トピックスなら、俳句より少ないたったの13.5字。テレビのニュースや情報番組のテロップは、一行あたり15文字程度で、二行あって30字。もちろん編集権はそれぞれのメディアにありますので広告会社が直接的に13.5字や30字の原稿を納品することはありませんが、「どうなるのか」をキチンと予想し、そのゴールイメージに沿って、前項のように具体的な発言、あるいは報道用資料に表記することが必要なのです。その磁石を、魅力を、どうしたら15字程度で云えるだろうか? PR発想の起点になります。