日本の経営学は海外標準とはまったく異なるもの

入山 日本の経営学者で僕よりはるかにすごい人たちはたくさんいますけど、おもしろいのは、海外で活躍している日本人経営学者のなかで、経営学部・商学部出身はほとんどいないんですよ。

琴坂 たしかに、考えてみるとそうですね。

入山 その理由は二つあると思う。一つは自然言語の壁があるから。これは僕の解釈だけど、国際化しやすい学問は数学を使う学問なんですよ。なぜなら、それが共通言語だから。経済学は経営学以上に圧倒的に数学だからね。ただ、いまは経済学でも若手が海外に出ているけど、数十年前に海外に出て活躍したのは数理経済学者で理論の人たちだった。

 二つ目は、最近日本で経営学専攻の学生と離していると、そもそも「海外に行く」という前提がないことがある。そういう選択肢がそもそも頭にない。おそらくだけど、修士課程辺りで学ぶ途中で、認知が狭くなっているのかもしれない。指導教官の先生について、国内の地方大学で就職するというエコシステムができているので、それ以外の発想をすることが難しくなっている。

琴坂 たしかに日本の経営学の世界は規模も伝統もあるので、そういったキャリアパスが確立されていて、海外に出ることが逆にキャリア・リスクになるという部分がありますね。

入山 何人かの学生からは「入山先生、海外に出たら日本に帰って来たとき就職できないですよ」って言われたよ。「いやいや、オレは就職してるじゃん」って思ったけど(笑)。

琴坂 海外に出るインセンティブがあまりないのかもしれません。実際は何が理由かわからないけど、海外にいる人が限られていて、国内で活躍する経営学者がたくさんいることも理由の一つかもしれませんね。

 現代の日本の経営学は、日本独自の経営学をつくろうという強い意思で始まったとも聞いたことがあります。 輸入から始まった経営学を、日本独自の発想で、特殊性を持った会社・組織にあった理論体系につくり直すという意識があったと。

 どちらがいいかはわからないし、日本の経営学で語られていることのほうがいいのかもしれません。ただ少なくとも、両者の間に「違い」が生まれているので、留学だけではなくて、海外とのコミュニケーション全般が難しくなっている事実はあると思います。

入山 琴坂くんも以前書いていたし、僕も完全に同意だけど、少なくとも交流する必要があるよね。ただそのためには、世界中の研究者が集まっている学会で発表するしかない。

琴坂 社会科学は知を編み上げる行為だと思うんですよね。そのためには、実際に会って議論しなければいけない。別の生態系として発達することになったことで、ものすごく強い経営学が発達した一方で、コミュニケーションが取れなくなった。

入山 難しいのは、これが日本だけの現象になりつつあることかな。『世界の経営学者はいま何を考えているのか』を書いたときに「これはアメリカの経営学だけでしょ?」という反響があったんだけど、琴坂くんはイギリスの大学出身なのに僕と同じことを言っている。そういう時代なんです。良くも悪くも、経営学は急速に国際標準化しているなか、とにかく日本だけ違う状況になっていることは間違いない。

琴坂 両者をつなげることが必要ですが、日本には日本独自の強い学問体系もあり、独立してやっていけるぐらいの規模と伝統もあるので、それをするインセンティブがいまいちない。

 日本の経営学にはポテンシャルがすごくあると思うんです。すごくリッチなエビデンスを収集している経営学者がたくさんいて、おもしろい事例がたくさん存在するけど、英語で発表されていないので残念ながら知られていない。日本独自の理論と海外の積み重ねをつなげられれば、ものすごい価値が生まれるかもしれません。そもそも、外に紹介するだけで価値があるかもしれないですから。