イノベーションのジレンマに陥らないために

 では、どうすればこのような事態を避けられるのだろうか。「イノベーションのジレンマ」は誰もみえていなかった問題を「見える化」した点に大きな意義があるが、それを解消するための本質的な方法(思考法)を示すことはできていないように思われる。提唱者のクリステンセンは、「その唯一の方法は、主力事業から完全に独立した組織を作ることである」と言及している(注3)。これは妥当なものだが、関心相関的観点からすれば、この対策のポイントは、独立した「関心」を持つ組織を作ることにある。つまり主力事業と同じような関心を持つ独立した組織を作っても意味はないことがわかる。

 「イノベーションのジレンマ」の問題の本質は、「合目的的判断を徹底すること」にある。したがって、その問題をさらに一般化すれば、「合目的的判断を徹底することの落とし穴」ということができる。問題の本質が明晰になれば、「合目的的判断を徹底しすぎないこと」「例外を認めること」といったより一般化した方法を導くことができる。人事採用でいえば、全体の採用方針が決まっていたときに、すべての人材をその方針に沿って採用しない、ということである。その場合、たとえば、5%〜10%といった一定の割合は例外を認め、方針には沿っていなくとも、明らかに優秀な人は採用する、ということになる。それによって、関心の設定が間違っていたり、あるいは状況が変化したことで、以前の関心設定が的外れなものになっても、その例外として採用した人達が思わぬ突破口となり、事態を打開できる可能性が出てくる。もちろん、必ずそうなるというわけではないが、多様な人材がいる分、変化の振れ幅や、想定外に対する適応力は高くなるといえよう。

 またこの関心相関的観点を知ることにより、合理的であるゆえに嵌まりやすい落とし穴があることを論理的に理解できる。どんなに優秀な人間であっても、関心外のことに対して、致命的な見落としをする可能性は常にある。子育てに喩えてみよう。子どものために数学の早期教育をやらせたほうがよいと思ったとする。その関心設定が妥当なものであればよい。しかし、間違っていたならば、その方針を徹底して、遊ばせることもなく数学ばかりやらせてしまった場合、取り返しのつかないことになる。しかし、その方針を徹底せず、適当に遊ぶ時間もあったならば、その関心設定が間違っていたとしても、子どもは自由時間の中でその後の人生で必要とされるスキルを適当に身につけられる。それと同じように組織にも想定外の事態にも対応可能なバッファとなるような一定の「ゆらぎ」「あそび」は論理的に要請されるものなのである。