クチコミによる拡散をviral(バイラル:ウイルス性の)という言葉や概念に置き換えると、しばしば誤解が生じるという。「優れたコンテンツは放っておいても自己増殖してくれる」という思い込みだ。ソーシャル空間でマーケターが避けるべき、4つの落とし穴を考える。

 

「バイラル」(viral)という言葉を使うのは、もうやめるべきではないだろうか? ただし医者の診察や、セキュリティパッチのダウンロードが必要な、本物のウイルスと関係がある場合を除いて――。

 この用語の問題点は、コンテンツそのものに自己増殖を起こす何かが備わっているかのような印象を与えてしまうことだ。コンピュータ・ウイルスは、ソーシャルメディアの海に解き放たれれば、みずからユーザーに襲いかかる。しかしバイラル・マーケティングの場合、実際にはその逆だ。ウイルスとは異なり、そのマーケティング・メッセージを支持し友人とシェアするか(しないか)は、人間が自発的に決めるのだ。

 優秀なマーケティング担当者が生み出すものを「バイラル・コンテンツ」ではなく、「拡散可能メディア」(spreadable media)と呼ぼう、という意見があるのはそのためである(英語書籍)。まあ、たしかにあまりキャッチーな響きではない。しかし、メディアをつくり出すのはマーケターでも、それを実際に広めるのは一般の人々であることを思い起こさせてくれる、健全な表現だ。

 マーケティングとは昔から、企業、メッセージの受け手(オーディエンス)、より広範な文化やコミュニティ、の3者が関わることで意味が生じるものであった。偉大な広告マンであるジェレミー・ブルモアはかつて言った。「鳥は、たまたま見つけたガラクタや藁を使って巣をつくる。人々もそれと同じやり方でブランドへの認識を築く」(人は企業のメッセージだけでなく、実にさまざまな要因によってブランド・イメージを形成する)。ただし昔と違うのは、いまや人々が自分の手でブランド・メッセージをつくり出し、それらをかつてなく広範囲に発信できるようになったことである。裏を返せば、こうも言える――SNSがコンテンツ探索の最も有力な手段へと発展するなか、メッセージの創造と拡散に受け手を巻き込まない企業は、人々の目にとまらないようになるのだ。

 人類学者のグラント・マクラッケンはこの考えをさらに進めて、拡散を起こす側の人々の呼び名を変える必要がある、と指摘している(英語記事)。「オーディエンス」や「消費者」、「ターゲット」といった受動的な言葉ではなく、「マルチプライヤー」(multiplier:増殖者)と呼んだらどうか、というのだ。たとえば、「このキャンペーンでリーチすべきマルチプライヤーは、どんな人々だろうか」という具合である。