私がCEOを務める国際統合報告評議会(IIRC)は2013年4月、統合報告のフレームワークの草案を公開した。以降90日間でIIRCは、企業、投資家グループ、企業報告の基準設定団体、会計士団体、規制機関といった、企業報告の変革にまつわるすべての利害関係者から草案への意見を求めている。(注:その後2013年12月に、統合報告のフレームワークが正式に発表された。日本語版はこちらからダウンロード可能。)

 このフレームワークは多くの点で、標準的な財務報告と異なっている。

●統合報告は過去の業績を伝えるのみにとどまらない。企業で価値がどう創造(または毀損)されたのかを投資家が理解できるよう、ビジネスモデルと戦略、およびリスクと機会に関する情報を提供する。

●企業で価値創造を牽引する資産は、財務資本だけではないものとしている。企業は6つの異なる資本――財務資本、製造資本、知的資本、人的資本、社会・関係資本、自然資本――の相互関係について報告しなければならない。

●統合報告は、既存の報告書を単に寄せ集めてまとめたものであってはならない。あるいは財務報告書とサステナビリティ報告書を無理やり合体させたものであってもならない。投資家にとって意味のある、企業の戦略と将来的な方向性に影響を及ぼす重要な問題に焦点を当てた、簡潔な報告であることが求められる。

 企業報告の新たな道筋を示す兆候は見られるものの、本当の意味で統合的な報告と呼べるものは、まだどこにも存在しないと私は思う。しかし、この新たなフレームワークにより、その目標に1歩近づくことができる。

 以上のような進展によって、企業報告の将来には希望が持てると私は感じているが、行く末には1つ暗雲が立ち込めている。米国企業は統合報告モデルへの移行において、欧州、アジア、ラテンアメリカの企業に後れを取っているのだ。もちろん米国企業の喜ばしい実例はある。IIRCの試験的プログラムには多数の投資家とともに、コカ・コーラ、プルデンシャル・ファイナンシャル、クロロックス等を含め約90社の米グローバル企業が加わっている。だが私が懸念するのは、米国には、企業報告の分野における革新を妨げかねない根深い理由がいくつかあることだ。

 まず、米企業は将来の成果に関する予想について、訴訟を恐れ言及したがらないという点である。だが他の理由もある。報告はコンプライアンスの問題だと見なす企業が多く、「義務化されていないのなら、手をかけるな」というわけだ。一部の企業は、大多数の投資家がこの種の情報を求めていると確信してからでないと統合報告に移行しないだろう。

 統合報告の採用で後れを取る米国企業は、2つの側面で危険を抱えることになる。自社の成果に関する十分な情報を投資家に提供できないのはもちろんだが、企業自身も、統合報告が促してくれる「統合思考」(integrated thinking)を逸するのである。統合思考とは、部門間の障壁を低くし、データシステムやプロセスを連携させ、あらゆる価値創造要因に焦点を当てる文化を促進する思考法だ。これはイノベーションにも大きくかかわる。世界でもトップレベルのイノベーション能力を持つ米国企業が、時代遅れの報告モデルに捕らわれて停滞しかねないのは、非常に残念でならない。

 統合報告が企業の業績に貢献し、投資家との包括的な関係をもたらし、より長期的な視野に立った資本主義を広めることができるのであれば、世界はまだ手遅れではない。


HBR.ORG原文:Corporate Reporting Needs a Reboot April 17, 2013

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ポール・ドラックマン(Paul Druckman)
国際統合報告評議会(IIRC)のCEO。IIRCは、規制機関、投資家、企業、基準設定団体、会計専門家、およびNGOにより構成される国際的な連合組織。