1969年に刊行された『ピーターの法則』によれば、「組織において人はおのおのその無能レベルまで昇進する。したがって組織はいつか無能な人々の集団となる」という。HBRではこの考え方、および悪い上司という問題はどう論じられてきたのか。代表的な論文でその変遷を振り返る。
マネジャーが常に完璧だったら、マネジメント誌など存在しない。ゆえに、ハーバード・ビジネス・レビューが長きにわたり次の問題を探求し続けてきたのも不思議ではない。マネジャーはなぜ無能なのか。その責任を負い対処すべきは、当人なのか部下なのか――。
この問題を最も鋭く指摘したのは、1969年に刊行された辛口の風刺本『ピーターの法則』(原題The Peter Principle、邦訳は2003年ダイヤモンド社)だろう。同書は真面目なビジネス研究の形を取りながら、すべて架空の事例を使って、マネジャーが無能である根本的原因を発見したと主張している。組織において人は皆その無能レベルまで昇進し、そこでストップする。そのため、時を経て人々が昇進を繰り返していくうちに、やがて組織内のあらゆるポストはその遂行能力がない人材で埋め尽くされるという理論だ。人々の共感を集めた同書はニューヨークタイムズ紙のベストセラーリストに1年以上載り続け、刊行から45年経った現在でも版を重ねている。
当時のHBRは同書を無視せず真剣に捉え、2本の真面目な論文を掲載してこれに応えた。両方とも法則の前提を認める内容だ。
1本目の論文は1973年の"A Postscript to the Peter Principle"(ピーターの法則への追記)で、一部のマネジャー――特に女性とマイノリティ――はこの法則に含まれないとしている。これらの人々は能力があっても、無能レベルに達するほど昇進の機会に恵まれないからだという。2本目の論文、1976年の"The Real Peter Principle: Promotion to Pain"(ピーターの法則の真実:苦痛への昇進)によれば、マネジャーが行き着くのは実際には、無能となるのが不可避なレベルまでではない。不安や苦しみのレベルが、成功への野心や欲求を上回るまで昇進するのだという。
これら2本の論考は、当時のHBRの視点と一致していた。つまりマネジメントの改善において、マネジャー自体に焦点を当てるというものだ。本誌がその後、「部下」の視点から無能なマネジメントの問題を取り上げたのは1979年、『ピーターの法則』の刊行から10年後のことだった。
すべてのマネジャーは誰かの部下でもあるのだから、これほど長くかかったのは不思議に思える。ケース・ウェスタン・リザーブ大学の経営学教授エリック・ニールセンと、当時の博士号候補者ジャン・ガイペンは"The Subordinate's Predicaments"(部下の苦しみ)という論考でこの点を明確に示した。その調査によると、ほとんどのマネジャーは悪い上司の下に就いた場合、できるだけ早く部下の役割を脱し、みずからのリーダーシップを磨いて有能な上司になることで問題に対処しようとするという。自分の(または他人の)無能を克服することを学ぶのだというこの考え方は、ピーターの法則とは反対のように思える。