同様に、他のマーケティングCEO、例えばヤマト運輸の小倉昌男やセブン&アイ鈴木敏文などについても、少数の例外的要因を除くと、大部分の要因はあてはまるように見える。考えてみれば、経営史上に燦然と輝く名経営者や、メディアが華々しく取り上げる現役のスター経営者たちの多くは、自ら創業し、修羅場の中で陣頭指揮を執って企業を成長させてきたわけであるから、伝記などで描かれる彼らのマーケティングCEO度が高いのも自然と言えば自然である。
これに対して、一方の極として、ミニマリストCEOたちが存在する。多くは、非オーナーで歴史の長い大企業であり、しかも成熟業界で多数のB2B事業に多角化された企業の経営者たちである。例えば、今回取り上げた総合と名のついた商社、素材、電機などの「総合」的な多角化大企業では、経営者のマーケティングCEO度は押しなべて低い。そしてほとんど全員が上に掲げた要因に当てはまる。恐らくマーケティング活動自体は多角化された個別の事業部門の中で行われ、多角化大企業のコーポレート部門、そしてそのトップである経営者たちにとっては、マーケティングに直接関与する機会も、また必要性の認識も小さいからではないか、と推測される。ただ冒頭のCMO設置企業の例でも示唆されるように近年はこうした傾向が変化してきている。
バラツキのもう一つの要因は、企業におけるマーケティング機能の位置づけに関する認識だろう。企業におけるマーケティングの役割に対しては、伝統的に二つの類型的な見方があると言われている(図3参照)。左側が、伝統的な位置づけで、マーケティングは他の機能、例えば生産や開発や管理などの機能と同列に置かれている。一方の右側の見方では、顧客が中心にあり、マーケティングは顧客とのインターフェースを司り、顧客ニーズを満たすために企業の諸活動を統合するという位置付けである。最近のいわゆる統合型マーケティングの考え方である。企業の諸活動を統合する、ということは、限りなく企業経営に近い位置づけと言い換えてもよい。
歴史があり、多角化された大企業の経営者たちのマーケティングの認識は、左側のものに近いのではなかろうか。マーケティングは一機能に過ぎず、担当部門あるいはせいぜい担当役員に任せるべきものであり、トップ・マネジメントが直接関与する性質のものではないという認識のためだと思われる。逆に、右側の認識を有する比較的新しい経営者たちは、創業の過程で、P・ドラッカーのいう「マーケティングとイノベーションという二大価値創造機能」の重要性を骨の髄に沁みるまで感じ、その統合的な位置付けを理解し、自らも経営者として積極的に関わることになったと考えられる。

図3:マーケティングの位置づけ 2つの見方
次回は、マーケティングCEOたちのさまざまな姿をご紹介する。