研究チームはさらに、この投資ゲーム、そして米国経済システムの両方について、公平性を評価してほしいと参加者に求めた。すると、この完全にフィクションのゲームと、実際の米国経済システムが「両方とも公平である」と答えた割合は、勝ち組のほうが負け組よりも格段に多かった。ここでも、対照群は勝ち組の意見に近い傾向を示した。

 ここから明らかになったのは、人の考えは「勝ったか負けたか」で変わるということだ(そして対照群をふまえれば、「自分の成績を知っているかどうか」でも変わる)。では、自分の勝敗によって「他者の考え」をどう捉えるかも変わるのだろうか。

 その答えを見出すため、研究チームは再度実験を行った。今回は対照群は設けず(これまでの傾向が勝ち組に近かったため)、前回に提示された再配分(税制)への見解について、バイアスがあると思うかを全員に尋ねた。

 多くの数学的処理を行ったのち、次の結果が示された。再配分を増やすべきだと答えた参加者は、私欲のせいでバイアスがあると見なされる傾向が強かった。ただし、そう見なしたのは勝ち組だけだった。一方、再配分を減らすべきだと答えた参加者は、比較的バイアスが少ないと見なされた。そして面白いことに、その見方は勝ち組と負け組両方に共通していた。

 この研究チームは、別の2つの実験によってある重要なことを立証した。人の考えに影響を及ぼし、他者にバイアスがあるという疑念を抱かせる原因は、客観的に勝ち組か負け組かという事実上のステータスではない。自分が勝ち組もしくは負け組であるという主観的な「感覚」である。論文の言葉を引こう。「主観的なステータスが、再配分政策に対する見解、およびその根拠となるイデオロギー面の信条を変化させる原因となる」のだ。

 所得格差が極めて大きい米国で、それでも有権者の多くが再配分の拡大に反対する理由の一端が、この研究から説明できるかもしれない。もしも所得階層の上位になることで、再配分を嫌うようになり、反対意見を偏見と見なす傾向が強まるとしよう。一方で底辺の人々は、現状でおおむね満足しているとしよう。自分が所得階層のどの位置にいるかを知らない人々は、富裕層とよく似た行動を取るとしよう。そして、再配分の縮小を望む者のほうが拡大を望む者よりも公平だ、というのが人々の総意であるとしよう。60年ものあいだ税率が下がり続けているのも、そう不思議ではないように思えてくる。

 この研究は、極めて人為的な設定における被験者の意見を取り出したにすぎない、との批判もあるだろう。現実世界への示唆は限られているのかもしれない。しかし、こう考えることもできる。50セントに満たない金額を賭けたオンラインゲームに参加しただけで意見が変わるのであれば、50年に及ぶキャリアを経た後では、どれほど大きく変わりうるだろうか。

 そして事実、収入の変化が私たちの考え方に及ぼす影響を知るための、現実世界のデータが存在する。