ガバナンスの問題

 ところで、この企業経営の基本スタンスという話まで来ると、ROEの高低には、会社の実質的な支配形態の問題、いわゆるコーポレート・ガバナンスの状況が関係しているのではないかと考える読者も出てくるのではないだろうか。それは、株主は個別企業の倒産から生じる損失を分散投資によってコントロールできるのに、企業価値の内部的な担い手である従業員たちはコントロールできないという制度上の非対称性があるからである。株主には分散投資というリスク回避の手段があるが、従業員には勤め先を分散してリスクを回避するという手は使えないわけだ。この違いは大きいだろう。

 そうすると、経営陣が株主よりも従業員のためを優先する傾向のある会社ほど、倒産のリスクから遠ざかろうとするのは自然の流れだろう。反対に、株主の利益を重んじる会社ほどリスクに果敢に挑戦する傾向が出やすいはずである。

 これは私たちの感覚にも合っている面がある。日本企業のガバナンスの構造は一般には従業員寄りであると言われることが多い。最近でこそ変化しつつあるとはいえ、取締役会のメンバーの大半は従業員出身の取締役である。そうした日本企業の特色は、一般に社外取締役の影響力が強く株主の利益に対して敏感であるとされる米国企業とは対照的であると評価され続けてきた。すなわち、日本企業は米国企業に比べロー・リスク=ロー・リターンへの志向が強く、米国の企業はハイ・リスク=ハイ・リターン志向が強くなるのも無理からぬことと思えて来る。だが、本当にそうなるのだろうか。

 組織内にいる当事者同士が、合理的な条件での交渉と取引を成立させることができるという仮定があるとしよう。意外かもしれないが、企業を含めて当事者同士が結成する組織がどのような決定を行うかは、当事者の誰が決定者であるかには関係せず、ただ当事者間の分配にのみ影響すると主張する経済学上の議論がある。これは、現代の経済学の基本定理の一つに数えられる「コースの定理」と呼ばれる命題だが、この命題が通用するとすれば、日米のコーポレート・ガバナンスの違いは、日米企業の事業機会選択における「傾向」の違いを作り出すものではないことになる。ガバナンス形態の違いがリスクのある事業機会への態度差に反映されているとすれば、それは当事者同士のリスク引き受けに対する取引条件が、何らかの意味で合理性を欠いていることになってしまうからだ(注2)。