原因③ 変化しないことの心地よさ

 日本は、結局みな自分だけは前の時代のルールで過ごしたいという願望が強く、昔の価値観がなかなか退場しない社会である。年功序列の恐ろしさは、みな我慢して待っており、ようやく順番が来た時にあえて変革を求めなくなることだ。順番が来る前は、年功制により発言権がない。

 仮に国際的な人材でないとダメだとわかり、社内にはいなくても、外から雇うよりは、気心の知れた身内を使いたい。新規分野がわからないとダメだと思っても、極端に若手を抜擢するのは社内の和を乱すからと避ける。外国人をトップに持ってきた企業がうまくいかないと「やはりそうだ」と喜ぶ。

 日本の企業で権力を握っているのは株主ではない。権力を握っているのは、企業内の年長者であり、長年その文化に染まった人々である。「過去培ってきた文化こそ、組織の成功要因であり、変えると成功が危機に瀕する」と信じていることが多い。「俺のいる間だけは雇用には手をつけたくない」と言うことが、「いいことだ」と信じているのだ。これはさすがに困る。

今後の日本企業の進化の方向性

 筆者は過去何十年にも渡り、日本企業変革の必要性を語ってきた。片や自分の主張が実現しないのに恥ずかしくなりつつ、片やなぜ変化せずにいられるのだろうかと不思議に感じてきた。しかしよくよく考えると、個々の年配の従業員は変化をあまり望んではいなく、変革のメリットを受ける若手には力がない。変革はトップからしか成立しなさそうだが、必ずしも意欲が高くない。

 トップが否応なく変わらざるを得なくなるのは、往々にして企業が危機に陥った時である。アメリカで長く活躍した人を呼び戻したり、子会社から呼び戻したり、必ずしも本流ではなく、周辺からのイノベーションとして大きな変化がたまに起きるようだ。

 しかし「できない言い訳」は尽きない。日産自動車の時は「外国人だからできた」と言われた。武田薬品の時は、「オーナー経営者だからできた」と言われた。富士フイルムの場合は、「本業消滅という、ありえない危機だからできた」と言われるのだろうか。多くの改革が示しているのは、肥大化したコストを抱えた結果攻めの投資ができなくては、生き残れないということだ。

 明るい兆しが見える。東証のコーポレートガバナンスコードなど、明確にルール化され、企業経営者が市場に向かってアカウンタビリティ(結果責任と説明責任)を果たす時代となった。これは資本主義の橋頭堡だといえよう。今後様々な規則に展開し、国際会計基準の採用などとともに、資本主義の精神のルール化が進むだろう。口で語る建前でなく、ルールには力がある。すでに初歩的だがROEという名の今までにない競争が始まっており、日本の機関投資家も無条件で経営者を支持する時代ではなくなった。ようやく重い石が転がり始めるように、今後変革が加速することを期待している。


 参考文献

・相葉宏二、『危機がなくても変革はできるか―武田薬品の10年変革―』、早稲田ビジネス・レビュー、Vol. 3, 2003

・相葉宏二、『個人の倫理に帰せず不祥事を起こさない仕組みを作れ』、早稲田ビジネス・レビュー、Vol. 6, 2007

・安土敏、『ニッポン・サラリーマン 幸福への処方箋』、日本実業出版社、1992

・古森重隆、『魂の経営』、東洋経済新報社、2013

・サンフォード・M・ジャコービィ、『日本の人事部・アメリカの人事部(日米企業のコーポレート・ガバナンスと雇用関係)、東洋経済新報社、2005

・野口悠紀雄、『1940年体制—「さらば戦時経済」』、東洋経済新報社、1995