アメリカで急激に経営のあり方が変化したのに対し、日本の経営は国際競争にさらされつつも、それほど大きな変化を起さなかった。最終回では、その3つの原因について考える。
日本とアメリカのビジネスの変化のスピード

早稲田大学ビジネススクール教授。東京大学法学部卒業。米ハーバード大学大学院よりMBA取得。太陽神戸銀行(現三井住友銀行)を経て、ボストンコンサルティンググループ入社。東京事務所、デュッセルドルフ事務所に勤務。プロジェクトマネジャーを経て、1990 年より本社取締役兼東京事務所ヴァイスプレジデント。 1994 年より大阪国際大学助教授、2002 年より現職。国内主要企業の社外取締役や監査役を歴任。日本CFO協会顧問。
第1回では日本的経営が成立したのは、戦後日本の特定の環境によるもので、必然性・普遍性を持たないことを述べた。第2回では、文化や社会の在り方が異なるから、日本とアメリカは対照的な企業システムを持っているのだという見解が広まっているが、実はアメリカも昔は日本と似ていたことを指摘した。アメリカが70年代以降、日本からの挑戦など、深刻な国際競争に見舞われる前は、日本同様、大企業の寡占や談合、業界内での協調、労使の協調、終身雇用的な運営、中間層の充実、高い限界所得税率、様々な利益団体が影響力を行使する社会だった。それが、一気に資本主義へと転換したが、同様に国際競争に晒されてきた日本は、なぜあまり変化しなかったのか疑問が残る。この最終回では、この問題を考える。
日本とアメリカでは「企業の在り方」が変化する際、どのぐらいの違いがあるのだろうか。下の図はジャコービィ教授が、日本企業とアメリカ企業の特性の分布を1980年と2004年の2回にわたり調査し、比較したものである。山型の曲線の幅が企業間の差異を表し、中間の縦線が企業の平均を示す。左側に行くほど従業員重視であり、右に行くほど株主重視となっている。日本は1980年に最も従業員重視だったが、それは実は2004年になってもほとんど変化していない。若干右にずれ、また企業間の差が大きくなった程度だ。アメリカではすでに80年にはかなり株主重視に移っており、2004年にははるかに右に移っている。もともと株主を重視しており、その後ライシュのいうスーパーキャピタリズムがますます追求されるようになったことがわかる。
アメリカの戦後は日本の姿に似ていたとしても、その後80年までには相当変化したと見られる。一方、日本は極端なほど変化せずに来られた、あるいは変化に抵抗してきたといえよう。この原因は大小取り混ぜ三つほど考えられる