拒絶を恐れて依頼や要求がなかなかできない、という人に贈る、上手な頼み方のアドバイス。自分の説得力と他者の受容力を、過小評価しないことがポイントだ。

 

 人は自分の持つ説得力を信じないがために、驚くほど多くのチャンスを逸している。

 たとえば、上司が短絡的な決定を下しても、部下は代替案を提示しない。どうせ聞く耳を持たないだろうと諦めるからだ。あるいはグループでの取り組みが必要なアイデアを思いついたとき、それを同僚たちに話そうとしない。説得に相当な苦戦を強いられるだろうと考えるからだ。不在時のフォローといった個人的なお願いでさえ、拒絶を恐れて同僚に頼まない。

 しかし上司や同僚は、こちらの意見や依頼に対して、大方の認識よりもはるかに受容的であるはずだ。実際に多くの場合、ちょっとした依頼や提案で物事がうまくいく。私たちは、みずからの影響力を常に過小評価してしまうのだ。

 人は自分の影響力について、いかに的外れな判断を下しているのか。それを知るために、私がスタンフォード経営大学院のフランク・フリンとともに実施した一連の実験について考えてみよう(英語論文)。

 最初に被験者たちに、次の予想をしてもらった。見知らぬ人に声をかけ、「アンケートへの記入」「慈善活動への募金」「携帯電話の借用」という各依頼に一定数の同意を取り付けるまでに、何人に接触する必要があると思うか?

 その後、被験者は外に出て実際にこれらの依頼を実行。すると、同意してくれた人の数は予想のほぼ2倍に上った。研究室に戻ってきた被験者の多くは、見知らぬ人がいかに快く同意してくれたかについて驚きの意を表した(なお別の実験では、「図書館の本を傷つける」などの非倫理的行為への加担を持ちかけた場合にも、同様の結果であることがわかった)。

 このような予想と現実との乖離は、特に職場で問題となる。ほとんどの企業は社内階層の厳格さを重視するため、従業員は自身の影響力が役職に左右されるものと考え、正式な権限がなければ何も頼めないと思い込みがちだ。

 ニューヨーク大学のフランシス・ミリケンと2人の同僚は、さまざまな業界の知識集約型企業で働く40人の従業員に聞き取り調査を行った。そのうちの大多数が、ワークフローの改善や倫理面などの問題について懸念がありながら、上司に問題を告げていなかった(英語論文)。

 その理由として3番目に多かったのは、問題を提起しても何も変わらないという思い込みだ(1位は「異端視されるから」、2位は「人間関係に悪影響が生じるから」)。ある従業員はこう述べている。「その件について私が実際に意見を言ったところで、何か変わるとは思えませんでした」

 マネジャーもまた人間であり、あらゆる人間関係に作用する力学は上司と部下の関係においても存在する。それを従業員が忘れがちであるのが最大の問題だ。

 上司は部下に敬意を持たれているかを気にかけ、部下を失望させることに罪悪感と気まずさを覚える。しかし人は通常、依頼時に受け手の気持ちになることができず、依頼に応じさせる社会的圧力が非常に強力であることを認識していない。たとえ上司の立場にあっても、ノーと答えるほうがイエスと言うよりも難しいことは多いのだ。

 具体的なイメージをつかむために、次の状況を想像してみていただきたい。あなたは、自社の社長が単純な安全規則を遵守できていないと気づいたとしよう。さてどうするだろう。立ち上がって遵守を求めるだろうか。それとも、相手は社長だから自分の言葉など意に介さないはずだ、と思うだろうか。

 スタンフォード経営大学院のジョアン・マーチン率いる研究チームは、こんな報告をしている。ある組み立てラインの作業者が、製造施設を視察中の社長に対し、勇気を振り絞って安全眼鏡の装着を求めた。社長はどんな反応を示したか。「恥ずかしそうに顔を赤くして」すぐに従ったのだ。

 この極めて人間的な反応は、次のことを示唆している。前述の実験で携帯電話を貸した人に作用した自己意識的情動と社会的圧力は、誰に対しても、それがたとえ社長であろうと、影響を及ぼすということだ。