脳は無意識に選択する
ビジネスに目を向けても、その構造は変わらない。消費者の購買行動における意思決定なども無意識の影響を受けている。そのため、その理由をアンケートやインタビューなど主観的な調査手法で無意識を探ることは難しい。
たとえば、自動販売機で100円のミネラルウォータを買うのか、130円の栄養ドリンクを買うのか、160円のウーロン茶を買うのか、それとも180円の特保のお茶を買うのかをどのように決めているのだろう。自販機の前に立つという行為自体は生理的に喉が渇いているからであり、理由を聞けば喉が渇いたからと答えられる。しかし、その先の選択について、どこまで客観的にその理由を答えられるのであろうか。実際は、本人すらその本当の理由を知らないかもしれないのに――。
スーパーマーケットの店頭を使って行われた興味深い心理実験がある。ジャムのサンプル試食会と称して、二つの容器にそれぞれ味の違う種類のジャムを入れ、通りがかりの買い物客に試食してもらい、どちらが好きかを選んでもらう。そして再度、選んだほうの容器のジャムを試食してもらい、なぜ選んだほうが美味しいかを尋ねる。
実は冒頭の実験と同様、店頭の店員はマジシャンであり、2回目には中身がすり替えられ、選んだものとは違うジャムを試食させていた。にもかかわらず、それに気づいた人は全体の3割以下であった。残りの人たちは異なるジャムを試食しているのに、やはり好きな理由を述べた。[注3]
アップルシナモンとビターグレープフルーツという味の相当異なる二種類のジャムで実験したときにでさえ、すり替えに気づいた人は半分以下だったそうだ。この一連の実験は、紅茶の香りについても行われ、こちらも似たような結果だったという。
こうした実験は、脳科学や心理学の分野で行われている「チョイス・ブラインドネス(盲目的選択)実験」といわれるものであり、人の選好理由が後づけで行われることを示すものである。そしてこの実験は、購買後のアンケート調査やインタビューがいかに難しいかを示唆している。人は好きなことの理由を後づけで考えるので、必ずしも選んだときの理由を意識しているとは限らないのだ。したがって、アンケートやグループインタビューで得られる購買動機が必ずしも事実と同じとは限らない、事実が歪む可能性がある。
こう考えると、自販機の前に立った理由も、喉が渇いているからという理由は自明と言えるのかも疑問である。本当に喉が渇いていたからか、そんなに喉は渇いていなかったが、新しいドリンクの宣伝が記憶に残っていて試しに飲んでみたかっただけか、はたまた、ドリンクに付いているポイントを集めて懸賞に応募したかったのかはわからない。また、何種類もあるドリンクの中から選んだ理由を本人に聞いたところで、本人すらわからないということがあるだろう。
ダイドードリンコが行なった自販機利用時の視線解析は、まさにそのことを裏付けている。彼らは自販機利用時の消費者の視線解析を行ない、自販機に向き合った際に、最初にお金の投入口、次にその横、左下に陳列されている商品から順番に見ていくことを発見した。そして、主力製品のレイアウトを左下に変えることによって売り上げをアップしたという。
これらの実験が示していることは、人は好きなものを選んだ「その瞬間」の理由をわかっていない可能性があるということだ。また、なぜ選んだのかを説明したとしても、それは必ずしも正しいと限らないということである。
答えは脳に聞け
では、私たちはどうすればよいのか。その一つの答えが脳に聞くという方法だ。その効果を実証する面白い実験がある。
約30名のティーンエイジャーに、まだ聞いたことのないさまざまなインディーズの音楽を聴いてもらい、聴いている間の脳反応をMRI(核磁気共鳴機能画像装置)で計測した。また、聴いた後にその音楽が好きか嫌いかをアンケートで質問し、回答してもらった。
実験から3年後、その音楽がどのくらいヒットしていたかを楽曲の売上枚数で確認したところ、3年前のアンケート結果と売上枚数の間には相関が見られなかった。だが、MRIで計測した脳反応では、側坐核(報酬に対して反応する脳の報酬系という領域の一部)の活動量と売上枚数の間には相関があったという。[注4]
ここでも、アンケート結果は当てにならなかった。それ以上に重要なことは、脳は無意識のうちに快を感じる音楽に反応していたということだ。アンケートではわからなかったヒット曲の予測が脳計測からできるようになる可能性を示唆した実験であり、非常に興味深いものである。
消費者の本音を探るためには、消費者の脳を知ることが効果的である。なぜなら、モノやサービスを購入するという意思決定は脳が行なっているからだ。脳計測によって、脳が快に感じている状態、すなわち脳が満足している状態を知ることができれば、より良い商品やサービスを提供することができる。
経営学の父といわれたドラッカーは、「企業が生み出すものは満足した顧客である」と言っている。満足した顧客を創出できなければ、当然、その対価として代金を支払ってもらえないわけであり、企業として継続的に存続できない。そして顧客を満足させるということは、顧客の脳が満足を感じる状態を製品やサービスを介して創出するということだ。
昨今、「モノからコトへ」「シナリオが重要」などと言われるが、そこに集約されていることは、どうすれば顧客の脳が満足を感じるかを探ることであり、製品やサービスは顧客を満足させる媒体にすぎないということである。つまり、「企業の存在価値は顧客の『脳』を満足させること」であり、製品やサービスを提供することではないのだ。Q(品質)D(納期)C(コスト)も、それがゴールではない。
ただし、顧客の脳を知るのは簡単ではない。直接的に脳を観察することができなければ、脳の意思決定の結果である生理的な反応(心拍の変化など)を知ることは有効だ。もしくは前述のダイドードリンコが行なった視線解析をはじめ、顔の動き、手の動き、身体の動き、実際に歩く経路、停留時間などの行動を観察し定量的に計測することである。なぜならば、行動は脳活動の結果だからである。
実際には、それぞれの計測手法にはそれぞれ長所短所がある。そのため脳計測、心理計測、生理計測、行動観察、主観評価をどのように組み合わせて、どこまで「相手の無意識を知る」かがカギとなる。
次回更新は、1月15日(金)を予定。
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