おそるべき集中、おそるべきせっかちさ

 まずは使う画用紙選びから。

 大西さんはグレーの画用紙を手にしていったん席に戻りますが、取り替えようと思ったのか立ち上がりました。行きつ戻りつの逡巡がありましたが、結局そのままグレーの画用紙でいく決心を固めたようです。笠原さんは青、笹森さんはピンクを選びました。竹内さんも青を選んで席に着き、おもむろにパステルを一筋入れました。

「ああ、描いちゃった。もう変えられない!」

 ワークショップには、一度画用紙にパステルを入れたら画用紙の変更はできないというルールがあります。竹内さんは、そこで腹をくくったようです。

 この竹内さんの言葉を最後に、それ以降は誰も口を開くことはありませんでした。

 悩んで手が止まることもなく、誰もが一心不乱に画用紙に向き合っています。さすがの集中力と言うべきなのでしょうが、絵を描くのが苦手という言葉はいったいどこへいってしまったのでしょうか。そんな疑念が浮かぶほどの変わりようです。

 とくに、大西さんの描く勢いにはすさまじいものがありました。

 パステルを画用紙に乗せるのも、指で「こすりング」を行うのも、慌ただしいうえにほかの誰よりも大きな音をたてています。スタッフの一人によると、大西さんの周囲には細かいパステルのかけらが飛び散っていたそうです。

 それだけの激しさです。額に汗が浮かぶのも当然です。その汗を拭うことさえもどかしいような、せわしない動作が続きます。そんな大西さんの姿を見て、はじめはこう思いました。

(頭の中に浮かんだイメージが消えないうちに、画用紙に描きたいのだろうな)

 しかし、どうも様子がおかしい。そんなことでもなさそうなのです。じっと観察するうち、もっと適切なワードが浮かんできました。

「せっかち」

 ほかのスタッフも同じように感じたようです。まさに野生的な集中力で、獲物を仕留めるかの勢いです。業界に先駆けて新しい試みを実践される、その実行力の源泉を見た思いです。

 実際、描き始める時点で長谷部さんが「40分から1時間描いてください」と言っていたにもかかわらず、25分しか経っていない時点でスパッとやめてしまったのです。

「サインを書けばいいんですよね」

 すっかり終了モード、一人で先へ先へと進んでいきそうになります。

 慌てたのはスタッフ側。長谷部さんとkuniさんが口ぐちに言います。

「もう少しがんばりましょうよ」

 キョトンとする大西さん。どうやらご自分がどのような状態にあるのかわかっていらっしゃらないようです。

「まだ25分ですから、最低でもあと15分は描いてみてください」

 Kuniさんの言葉に、大西さんも素直に従います。

「ああ、そうですね」

 大西さんの激しい「描く」が再開されました。

 その間、ほかの3人の方々は誰一人として手を止めることはありませんでした。

 大西さんとスタッフのやりとりの間も、チラッと見て笑みを浮かべるだけ。すぐにご自分の作業に戻っていきました。粘り、辛抱強さ、愚直、淡々。形容する言葉がいくらでも浮かんでくるほどの集中力でした。

 開始から約50分、全員が思いを描ききったようです。画用紙にスプレーを吹きかけてパステルを定着させ、サインを書いて額に入れます。その作業をしているさなか、スタッフの一人があることに気づきました。

 大西さんの指だけが、異様なほど汚れていたのです。

 オールCGのアニメーション映画『シュレック』をご存じでしょうか。その主人公のシュレックは、緑と白と黒が入り混じったようなくすんだ緑色で描かれています。大西さんの指も、まさにそんな色をしていました。

 それを見た会場が爆笑に包まれます。

「こんな人、今まで見たことがない」

 これまで、ワークショップを通じて何千人もの「描く」を見てきたKuniさんも、身をよじりながらそう言います。現に、ほかの3人はそこまで汚れていません。大西さんは、少しムキになって言います。

「みんな、ルールを守っていないんじゃない? こすりングしなくちゃいけないんだよ? わかってる?」

 上司、社長、取材相手。そんなことはおかまいなく、誰もが言います。

「どうやったって、そんなになりませんよ」

「吸収力がいいんじゃないですか?」

「描く」時間は、大西さんの独演会で幕を下ろしました。