アップルペイが、当初期待されたほど普及していないのはなぜか。その理由をプラットフォーム事業の専門家が指摘する。他分野のイノベーションにも通底する2つの教訓とは。


 2014年9月9日、アップルの世界開発者会議(WWDC)で壇上に立ったティム・クックはこう発表した。「当社はまったく新しい決済プロセスを生み出しました。その名はアップルペイです」

 壇上に映し出された動画では、来たる最新バージョンのiPhone 6を手にした女性が、決済端末で瞬く間に支払いを終えた。「たったこれだけです!」とクックは2度声を張り上げ、新たな決済方法が「いかに速く、いかに簡単か」を強調した。アップルのプレスリリースでは、この新たなサービスは「モバイル決済を変革する」と宣言されている。

 企業幹部、投資家、起業家、アナリスト、そしてメディアは、アップルがこの発明でふたたび世界を席巻することになるかを見極める必要に迫られた。

 iTunesが音楽に対してやったことを、アップルペイは金融サービスでも実現するのか。モバイル決済ソリューションを擁する、他の多くのプレーヤー(大手ではグーグルから、小規模なところではレベルアップまで)にとってはゲームオーバーを意味するのか。銀行は、1取引当たり0.15%をアップルに支払い、顧客がアップルペイでデビットカードやクレジットカードを使えるようにすべきなのか。小売業者は、新たな決済方法を採用すべきなのか――。

 IT系ニュースサイトのザ・バージは、アップルペイを革命と呼んだ。『フィナンシャル・タイムズ』紙も同様だ。ペイパルは瀕死のように目された。CNNは、「アップルペイはペイパルの息の根を止めるのか」と題した記事でこう報じている。「アップルは私たちに、財布とクレジットカードを捨てさせようとしている。消費者がペイパルもお払い箱にするのではないかと、ウォール街は不安視している」。そして、当時ペイパルを所有していたイーベイの株価は6%下落した。

 だが、我々はそこまで確信的になれなかった。

 我々が提唱する「マルチサイド・プラットフォームの新たな経済性」は、アップルペイのような「マッチメーカー」(本記事では「プラットフォーム事業者」と同義)の成否を予想するための、フレームワークと多数の実証的知識を提供するものだ。予測はただでさえ簡単ではなく、未来については特に難しい、という格言はもちろん承知している。しかしこの理論は、有望な新規プラットフォームと、大失敗する可能性が高いプラットフォームとを区別するための強力な手段となる。

 マッチメーカーになろうとする企業のほとんどは、その実態を正しく理解していない。プラットフォーム事業は実際には、既存のビジネスモデルのなかで最もハードルが高いものの1つである。

 我々を含む経済学者らは、マッチメーカーが調整上の困難な問題に直面することを明らかにしている(英語論文)。プラットフォームを活性化させ、急速に成長させるには、相互に交流を望む参加者を一定数取り込む必要がある。この「臨界量」の達成がハードルとなるのだ。

 臨界量の確保は、単なる数の問題ではない。複数種類のグループ(財を提供する側とされる側)双方に、互いに有意義な価値を交換し合えるメンバーが十分にいる必要がある。つまり、単に規模だけでなく密度が必要なのだ。この考えは、金融資産の取引における「分厚い市場(thick market)」という表現で知られている。互いにビジネスをしたいと実際に望む少数の参加者のほうが、互いへの関心が低い多数の参加者よりも、はるかに重要なのである。