教室の外でも学びがあることは
ケース・メソッドでも想定されていた

山崎:藤川先生のHBS在学中と比べて、たとえば学習法に関してはKnowing、Doing、Beingのフレームワークが近年導入されて変化しているわけですが、それ以外に学生さんの気質などで変化を感じられたことはありますか。

藤川:そうですね。僕が学生のときは、教室を出て現場で学ぶというフィールド・メソッドにもとづく授業はあまりなくて、まさにケース・メソッド100%でした。ただ、学びというのは教室で起きることがすべてじゃない、というフィロソフィーは当時からありました。授業前のスタディ・グループや、授業後の議論も含めてたくさん学びが起きるようカリキュラムが設計されていたように思います。HBSが1世紀前の開校以来、フルタイムかつ2年間のMBAプログラムしかやらないのも、同じ時間や空間に身を置き、共に学び合う、「同じ釜の飯を食う」経験をするなかにこそ学びの中心があると考えてきたからではないでしょうか。ただ、そうした教室外の学びをより積極的に明示的にとらえて学習法としての確立を目指しているのが、新たに導入されたフィールド・メソッドだと僕は理解しています。

山崎:なるほど。たしかに、ケース・メソッドが目指す学びのあり方と、フィールド・メソッドの思想の間には共通点がありますよね。

藤川:学生の視点からすると、ケース・メソッドにおいても「参加者中心の学び (participant-centered learning)」を最大化するために、自分がいかに貢献することができるかを考えて行動します。具体的にいえば、ケースディスカッションの中で積極的に発言し、議論を建設的に進めることに貢献しようとします。でも、このフィールド・メソッドが導入されたことで、より貢献の次元が多面的になったのではないでしょうか。ケース・メソッドの場合は、すでに学習法として確立していて、教室におけるディスカッションというある程度決まったルールに沿って、自分なりの貢献をいかにするかという学習法であったのに対し、フィールド・メソッドだとさまざまな形の貢献があり得ますよね。東北にやってくる前に集まって準備することを通じて学び、来日後に東北でさまざまな方にお会いすることによってももちろん学び、HBSの卒業生や通訳ボランティアも加わるとチームによっても様々に異なる化学反応が起きることでさらに学ぶ。この本の随所にでてくるいろんなエピソードを読むと、自身の学びを拡大する機会も、他者の学びに貢献する機会も、ケース・メソッドにはない広がりがあることがよくわかります。

山崎:おっしゃるとおりだと思います。学びの環境が変わったことで、学生たちのあり方も変わってきたのでは、と感じています。私がHBSで働き始めたのは2006年で、ちょうど世界金融危機が起こる直前の、金融ブーム真っ盛りの時代でした。素晴らしい学校だったことに変わりはないものの、当時の学生が大切にしているもの、ノリのようなものが、今とは随分違った気がします。例えば私自身がHBSで学んでいる姿は想像できなかった。でも、今のHBSを見ていると、10歳若かったら私もここの学生として学んでみたいなと心から思います(笑)。

藤川:あ、それはご著書にも書かれていましたが、HBSがその教育内容や教育手法を振り返り、深く自省する前のことですね。たしかに、この本に出てくる学生たちは圧倒的に「いいやつ」が多いなとは感じました。ただ、1学年900数十人の中からかなり選抜された集団であること、かつ、事前にさまざまな準備セッション等を受けたうえで参加している学生であることを考えると、果たして代表性があるかどうか。母集団全体の特徴としてスクール全体にナイスなやつが増えているのかどうか、僕としても知りたいところです。

山崎:極めて主観的な印象ですが、スクール全体が変化していると思います。

藤川:あとは、ミレニアル世代がビジネススクールに入り始めたという時代背景もありそうですね。生まれたときからインターネットが当たり前のデジタルネイティブで、世界の出来事や人類全体の課題に関心をもっている世代ですよね。米大統領選で民主社会主義を名乗り、ヒラリー・クリントン候補と大接戦を繰り広げたバーニー・サンダース上院議員の躍進を支えたのも、彼らのような世代でしたよね。

山崎:そうですね。そういう世代の変化は一橋ICSでも感じられますか。

藤川:それは感じます。そういう変化を先取りするかたちで一橋ICSでもさまざまなプログラムに反映してきてはいます。

後編につづく)