あらゆる製品がインターネットにつながるIoT(Internet of Things:モノのインターネット)は、企業とユーザーとの関係性を大きく変える可能性を持っている。ローランド・ベルガー代表取締役社長の長島聡氏は、それによってユーザーとの「対話」が変貌し、企業の製品開発やサービス設計に革新が起きるという。その展望を聞いた。(構成/加藤年男、写真/住友一俊)
デジタル技術が「対話」の価値を変える

ローランド・ベルガー 代表取締役社長
早稲田大学理工学研究科博士課程修了後、早稲田大学理工学部助手、各務記念材料技術研究所助手を経て、ローランド・ベルガーに参画。工学博士。自動車、石油、化学、エネルギーなどの業界を中心として、R&D戦略、営業・マーケティング戦略、ロジスティック戦略、事業・組織戦略など数多くのプロジェクトを手がける。主な著書に、『日本型インダストリー4.0』(日本経済新聞出版社)がある。
編集部(以下色文字):長島さんは「デジタルによる『対話』の革新」という論文を発表され、企業がユーザーと対話することの必要性をあらためて説きました。まず、主張の概要を教えてください。
長島聡(以下略):デジタル技術の進化は、企業とユーザーとのコミュニケーションのあり方、すなわち「対話」のあり方も進化させました。対話とは、みずからが物事に持たせた意味や、物事から感じた思いを他人と共有することです。また、その背景にある価値観を共有することでもあり、思考の交流と言ってもよいかもしれません。
デジタル以前の時代は、相手と向き合い、表情を見ながら思考を交流させることが一般的でした。しかし現在は、SNSに代表されるように、時間や場所の制約を超えたユーザーとの交流が当たり前になっています。一部であれば、人工知能にその機能を任せることもできるようになりました。そうしていまや、世の中で交流している思考の量は飛躍的に増大しています。
それは、企業とユーザーとのコミュニケーションにも変化をもたらしました。かつては、わざわざ会場を用意して招待状を送るなど、ユーザーと対話を行うための工数は大変なものだったと思います。それがいま、ユーザーと接点を持てるポイントが拡大しただけでなく、ユーザーと対話するときの時間コストを大きく低下させることにもつながったため、そこで生まれた思考を有効活用できる可能性が広がったと言えます。
その状況は、スマートフォンの普及やIoT(Internet of Things:モノのインターネット)の進化で、さらに促進されました。これまでのように購買情報だけをマーケティンングやブランディングの基盤とする必要がなくなり、あらゆる時間でユーザーに寄り添える企業の存在を可能にしたのです。
今後は、ユーザーをはじめとするステークホルダーとの対話そのものが価値となり、製品や店舗はその対話の道具となるのではないでしょうか。これまで想像もしなかったレベルで対話できるようになることで、彼らとの新しい関係性が生み出されると考えています。
対話を通して生まれる企業とユーザーとの新しい関係性とは何でしょうか?具体的に教えてください。
これまでは、記録できた過去の情報の中でも、整理され、特定のタイミングで利用可能なものだけを活用していました。それが最近では、頻度や1回の使用量といった利用履歴、自動車や装置であれば操作履歴、あるいは過去の対話やクレーム状況を含む来店履歴などが1つのデータベースに格納され、どんな切り口でも取り出せるようになっています。それによってユーザーの過去を俯瞰できるようになり、その背景をより深くつかめるようになったと言えます。
対話を通してユーザーの過去を俯瞰できるようになっただけではなく、その場でユーザーの感情を観察する取り組みも始まっています。映像を使って外見の特徴からユーザー属性を読み取るシステムにはじまり、表情から感情を把握するAI(人工知能)エンジンなど、さまざまな技術革新が進んでいるのです。たとえばダイキン工業は、顔認証や音声認識技術を取り入れて、人の健康状態や感情がわかる次世代エアコンを開発中です。またソフトバンクとホンダは、感情を擬似的に生成できるAI技術の「感情エンジン」を開発しており、このシステムを搭載したEVコンセプトカーが来年初めに出展される予定です。
製品とユーザーの対話を図る珍しい挑戦としては、自動車などの装置のようにユーザーが触れている製品を擬人化して、その使われ方に基づいて装置の“感情”を「見える化」し、その場で伝える取り組みも始まっています。たとえば川崎重工は、感情がわかるAIを搭載したバイクを開発中しており、バイクと対話をしながらツーリングを楽しむ様子を動画で公開しています。
より将来的には、その場その場でAIが適切な質問を投げかけることで、ユーザー本人すら意識していなかった感情を形式知化することが始まると予想しています。たとえば、前方に進行を妨げるものがない状況で「なぜいま、ブレーキを踏んだのですか?」、峠の山道で「いま、気持ちよく曲がれましたか?」など、AIがドライバーと対話することで本音を引き出していくのです。それによって、従来の自動車メーカーが想像したことのないユーザーの感情を見出せるようになるでしょう。
ただし、こうしたITやAIを活用した取り組みは、ある一定の確率でしか的を射た認識ができません。そのため、その成果をどのように活かすかは、現場の人間次第であることも間違いないと考えています。
長島さんはなぜいま、対話が持つ力の可能性を感じたのでしょうか?
きっかけは、「インダストリー4.0」でした。私は、インダストリー4.0の本質とは、異次元レベルの見える化と圧倒的な機動力を実現することにあると考えています。
欧州の企業はそれを梃子にして、一握りの天才がものを考え、さまざまな製品・サービスをつくり、彼らの指示に従って現場が動く仕組みになっています。ただ、その仕組みは天才に依存しているため、見える化が広がって機動力が上がっているのは、その天才の周辺に留まっています。
欧州のそうした状況を見て、それでいいのかと疑問を抱きました。同時に、もし現場の一人ひとりが異次元の見える化や圧倒的な機動力を発揮できたらどうなるのかという期待も沸いてきました。それができれば、優れた製品やサービスの開発・流通につながり、それによって現場の人たちのモチベーションもいっそう高まるに違いないという期待が生まれたのです。
でも現実には、特にここ10年で世の中のスピードが速くなるなか、タコツボ化された組織の中で忙殺され、自分がやるべきことしか見えていない人が急速に増えてきたとも思っていました。それ以前は大部屋などもあり、土嚢をまたいだ対話ができていましたよね。自分のことばかりでなく周りも見えていたので、仲間のために頑張ろう、お客さんにとってよい製品をみんなでつくろう、という気持ちがありました。
もちろん、その気持ちがいまも息づいている日本企業も少なくありません。たとえばマツダは、「Be a driver」というキャッチフレーズにすべてを集約し、異なる部門の人たちがそれぞれの分野、それぞれのやり方で「Be a driver」に貢献しようと考えています。その状況を言い換えると、部門間、あるいは部門を超えた従業員同士の対話があるということです。
では、さらに次の段階として、従業員同士だけではなく、従業員とユーザーとの対話を始めたらどうでしょうか。同じく自動車業界を例に挙げると、現在のユーザーは販売代理店の営業担当者との対話しかありませんが、たとえば商品開発部門の人たちもその対話に加われば、ユーザーとの新しい関係が生まれることも考えられます。
いまでも、開発ストーリーの紹介などで担当者が表に出てくることがありますよね。しかし、新聞や雑誌の記事に登場することをもってインタラクティブな対話とまでは言えません。そこにデジタルの力を借りれば、営業担当者のさらに上流にいる人たちが対話に加わったり、開発部門の人とユーザーが直接話をする機会がつくれたりと、さまざまなかたちでより高い頻度での対話を実現できる。そこには大きな可能性を感じています。