内部要因の学術的探究は1980年代初頭から

 こうした土壌を背景として、学術界でも、企業内部の探究が黎明期を迎えていた。

 前回述べたように、1970年代後半以降、特に産業組織論の知見の応用が進んだことで、競争環境の要因が企業行動にいかなる影響を与えるかについては、体系的な理論化が着実に進みつつあった。その一方、企業内部の要因を学術的にとらえ、それを理論化しようとする試みは、1980年代初頭からようやく進展し始めたのである。

 その流れを総称して「資源ベース理論」(リソース・ベースド・ビュー〔Resource Based View〕とも呼ばれる)という。ポーターのファイブ・フォース分析がそうであったように、この理論も一人の天才によって突如生み出されたものではない。社会科学の発展の典型と同じく、数々の研究者たちが貢献を積み重ねることから形成された考え方である。

 この資源ベース理論の礎を築いたのは、1984年、マサチューセッツ工科大学教授バーガー・ワーナーフェルトが発表した「A Resource Based View of the Firm(企業を資源からとらえる考え方)」という論文であった。この論文は、SCPモデルが、企業の収益性を決める要因は企業が産業内のどこにポジショニングするかである、と説いたのに対して、企業の収益性は資源市場における独占によっても向上させうると説明した。

 ワーナーフェルトは、それまでの考え方が製品市場、すなわち外部環境の分析に偏りすぎていると批判した。そして、企業が他社に真似できない資源を保持することは「資源獲得障壁(Resource position barriers)」を築くことであり、それにより企業は競争優位を得ることができると説明した。

 それは産業組織論が超過利潤の源泉とした参入障壁(Entry barriers)や、ポーターらがそれを拡張した移動障壁(Mobility barriers)の議論をさらに発展させた考え方である。すなわち、ワーナーフェルトは製品市場(外部環境)の分析によって検討が進んでいた理論体系を資源市場(内部環境)の議論に応用し、両者を統合的に説明する道を切り拓いたのである。
ワーナーフェルトの貢献が特に評価されるのは、このように産業組織論を原点として、ポーターによって拡張された産業構造から学術的に企業の競争優位の源泉を検討する考え方を応用し、しかもそれを企業の外部の議論から内部の議論に拡張したことにある。

 同時期にはたとえば、リチャード・ルメルトの1984年の論文[注4]でも、異なるアプローチでSCPモデルが抱える課題、すなわち同様の産業構造下でなぜ企業の収益性に差異が生まれるかが理論化されていた。ルメルトは、各企業が持つ生産資源が本質的に異なるという前提を置き、その生産資源のコスト効率の差異が経済的レント(Economic rent: 経済学の用語であり、ここでは資産の利用から得られる余剰価値)につながるとき、それらの生産資源は競争優位の源泉となりうることを数式で示した。この論文も、企業の外の資源ではなく企業の中の資源を分析することから企業の異質性を説明しており、数多く引用される文献である。

 では、ワーナーフェルトの論文がなぜ特に注目を浴びたのか。彼の言葉[注5]を借りれば、「多くの人々がこの論文を拡張し、そして、この論文が他の理論研究や過去の伝統的な理論体系と高い整合性を持っていたから」である。それまでの議論を援用しつつも前進させ、また他の議論も包括できる応用可能性を持つこと。それがなければ理論の評価は高まらない。なお、その出発点となった功績が認められ、この論文は、1993年、経営戦略の国際学会であるストラテジック・マネジメント・ソサイエティから発表5年以上経った名著論文に送られる学会賞を受賞している。

 この論文にはもう1つ、パラダイムを変える転換点となる論文によく見られる特徴がある。Google Scholarの引用件数が1万件を超えていることからも伺えるように、この論文は現代では高く評価されている。しかし、この論文は発表当時にはまったくと言ってよいほど興味関心を持たれていなかった。発表から3年間での引用件数はわずか3件であったという。その内の2件はワーナーフェルトの門下生の論文であり、もう1件は彼の同僚の論文からであった。

 実は、ワーナーフェルトのみならず、資源ベース理論の源流とも言われるエディス・ペンローズの1959年の著作『The Theory of the Growth of the Firm (企業成長の理論)』[注6]も、30年近くの長きにわたり埋もれていた。この著作が注目を集めたのは、ワーナーフェルトによる前述の1984年の論文と、同じくこの理論体系の確立に多大な貢献をしたデイビッド・ティースによる1982年の論文[注7]で言及されたことがきっかけだった。これらがなければ、そのまま埋もれていた可能性すらある[注8]。

 ペンローズは、企業とは生産資源の束であり、その束の特性が異なることから、たとえ同一の産業構造下でも根本的に異質であると主張した。また、その生産資源に関しても、単に土地や設備のみならず、経営者や従業員のスキルなど多様な要素が含まれると解釈する先進性を持っていた。しかし、当時の研究者や実務家はその主張を聞き入れる素地をまだ持っていなかった。

資源ベース理論はいかに構築されたのか

 資源ベース理論が一般に知られるようになるのは、1990年代に入ってからである。だがそれに先立ち、1980年代の中頃から、企業の内部要因を理論化し、より現実に即した理論体系を生み出そうとする動きは着実に進行していた。

 ワーナーフェルトの論文が注目を浴び始めたのは、発表から5年を経た頃、1988年から1989年のことである。ワーナーフェルト自身によれば、その背景には、特にジェイ・バーニーの1986年の論文、インゲマル・ディエリックスとカレル・クールの1989年の論文[注9]、ワーナーフェルト自身の1989年の論文[注10]など、資源を巡る市場の特性に関する理論の細緻化があるという[注11]。

 たとえば、バーニーの1986年の論文では、戦略的資源市場(Strategic Factor Market)という表現を用いて、資源を巡る競争と製品市場における顧客を巡る競争とをより明確に対峙させた。SCPモデルに代表される製品市場の分析は、まったく同じ産業構造下に存在する企業の業績に差異が存在する理由を説明するようにはつくられていない。したがって、個別企業に特有のスキルや能力の特性を分析するほうが、より正確に個々の企業の競争優位の源泉を特定できる。バーニーはそのように主張した。

 ワーナーフェルトの1984年の論文が、製品をめぐる競争と資源を巡る競争との間に明確な優劣を示さなかったのに対して、バーニーは資源の重要性を強く説いた。バーニーは、自社を産業内で最適な位置にポジショニングすれば超過利潤を得られるというSCPモデルの理解が正しいとしても、そのポジションを得るために必要な資源を獲得する競争が存在するがゆえに、必ずしもすべての企業がそのポジショニングを得られるとは限らないことを示したのである。

 また、ディエリックスとクールの1989年の論文は、ワーナーフェルトとバーニーの議論をさらに発展させた。彼らは、超過利潤を企業が得るためには、資源市場での競争に打ち勝ち続けなければならず、そのためには保有する資源が代替しづらく、模倣困難な必要があると説明する。そして、企業が保有する資源が代替しづらく、模倣困難となる条件は、その資源が蓄積される過程が独特であること、その結果として生じる資源の組み合わせが他社には構築しづらいことであり、それが競争優位の源泉であるとした。

 すなわち、資源の調達コストや調達に伴う機会コストのみの理論化では、企業の持続的競争優位を説明できない。その資源を構築、または蓄積するプロセスまでを勘案する必要があり、資源がどれだけ戦略的に重要であるかは、その入手困難性、模倣困難性、代替困難性に左右されると主張したのである。

 さらに、ワーナーフェルト自身の1989年の論文は、より具体的な戦略策定のプロセスにまで踏み込んだ。この論文は、それまでの理論的検証によってある程度特定された、資源を活用する際に必要な要素を体系化し、それを実務家にもわかりやすい形でまとめようとした最初期の作品といえる。ただし、この論文自体は、それほど大きな注目を浴びることはなかった。おそらくそれは、その体系化が不十分で明瞭ではなかったこと、それゆえに、この論文が多くの読者の目に触れる主要な論文誌に掲載されなかったからであろう。

 もちろん、資源ベース理論の形成に貢献した研究者はこの限りではない。経営戦略が確立された後の議論だけを紐解いたとしても、アルフレッド・チャンドラー、イゴール・アンゾフ、ケネス・アンドリュースなど多くの先駆者たちはすでに、内部資源の重要性を指摘していた。また資源ベース理論の形成初期過程からも、リチャード・ルメルトやマーガレット・ペタラフなどの研究者が、資源を軸に企業とその戦略を捉える調査研究を協調・競争しながら進めていた[注12]。

 ワーナーフェルトは、前述の1995年の論文でこう振り返る[注13]。

「1994年のSMSの年次総会(注:経営戦略の世界最大の国際学会)において、この論文が受賞する際に私はこう述べた。『私は石を地面に置いてそれを残しただけだった。ふと振り返ってみると、他の人がその石の上や横に石をおいて壁の一部を作り上げていたのである』。つまり、資源ベース理論として知られる一連の調査研究は、多くの人たちの研究の成果である」

 これこそが、社会科学としての経営学の真の姿である。誰かが突如語り始めてそれだけで認められた理論体系は、私が知る限り存在しない。その背後には必ず、その原型とも言える主張があり、それを磨き込み続けた無数の研究者がいる。特定の人物が着目を浴びるにせよ、それは集団が練り上げた知識の恩恵を受けているのである。

[注4]Rumelt RP. 1984. Towards a Strategic Theory of the Firm. In Competitive Strategic Management. Lamb RB (ed.), Prentice Hall: Upper Sadler River, NJ.
[注5]ワーナーフェルト自身が、1995年、受賞を振り返るエッセイで述べている。Wernerfelt B. 1995. The Resource-Based View of the Firm: Ten Years After. Strategic Management Journal 16(3): 171-174., pp. 171-172.
[注6]Penrose, Edith T. 1959. The Theory of the Growth of the Firm. Basil Blackwell.(邦訳は『企業成長の理論【第3版】』〔日髙千景訳、ダイヤモンド社、2010年〕)
[注 7]Teece D. J. 1982. Towards an Economic Theory of the Multiproduct Firm. Journal of Economic Behavior and Organization 3(1): 39-63.
[注8]Rugman A. M, & Verbeke A. 2002. Edith Penrose's Contribution to the Resource-Based View of Strategic Management. Strategic Management Journal 23(8): 769., p. 771.[注9]Dierickx I, & Cool K. 1989. Asset Stock Accumulation and Sustainability of Competitive Advantage. Management Science 35(12): 1504-1511.
[注10]Wernerfelt, B. 1989. From Critical Resources to Corporate Strategy. Journal of General Management, 14, pp. 4-12.
[注11]早稲田大学の入山章栄准教授による論考では、特にペンローズ(1959)、ワーナーフェルト(1984)、バーニー(1986)、ディエリックス=クール(1989)を紹介したのちに、バーニー(1991)の骨子を概観、その後の発展を追っている。こちらも合わせて参照いただきたい。入山章栄、バーニーの理論を「ようやく使えるものにした」のはだれか、Diamond Harvard Business Review, Dec 2014, pp. 126-137.
[注12]資源ベース理論の初期の理論研究を俯瞰するには、次の文献を参照のこと。Mahoney J. T, & Pandian J. R. 1992. The Resource-Based View Within the Conversation of Strategic Management. Strategic Management Journal, 13(5): 363-380.
[注13]Wernerfelt B. 1995. The Resource-Based View of the Firm: Ten Years After. Strategic Management Journal, 16(3): 171-174., p. 172.