最新の事例や理論が求められるなか、時代を超えて読みつがれる理論がある。『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』(DHBR)の過去の論文には、そのように評価される作品が無数に存在します。ここでは、著名経営者や識者に、おすすめのDHBRの過去論文を紹介していただきます。第1回は、ネスレ日本の高岡浩三社長によって自身のイノベーティブな経営スタイルに合った3本が選ばれました。(構成/新田匡央、写真/鈴木愛子)

 DHBRの論文は、毎号欠かさず目を通しています。ただ、掲載されたすべての論文を読み込んでいるわけではありません。見出しに目を通し、自分にとって有益なもの、啓発を受けそうなものを選んで読んでいます。選ぶときの視点は「経営の勉強をする」というものではなく、これまで実行してきた「経営の自己採点をする」というものです。その前提に立ったうえで、私が最もインパクトを受けた論文3本を紹介したいと思います。

イノベーション論で最も腑におちた
ゲイリー・ハメルへのインタビュー

 私が「キットカット」などを扱うネスレコンフェクショナリーの社長に就任したのは2005年のこと。それから現在まで、10年以上にわたって企業経営に携わってきました。その間、企業の経営課題として一貫して言われてきたのは、マーケティングとイノベーションです。企業が成長していくには、マーケティングとイノベーションなくしてはできない。プロフェッショナルのマーケターの私にとっては、マーケティングが重要であることは当然のこととして、頭の中には「では、イノベーションとはいったい何を指すのだろうか」というモヤモヤとした思いがくすぶっていました。

 ゲイリー・ハメル氏へのインタビュー「いま、経営は何をすべきか」(DHBR2013年3月号)に出会ったのはそのようなときです。このインタビューでは「イノベーションをピラミッドのような多層構造でとらえる」と書かれていました。オペレーション上のイノベーション、製品やサービスのイノベーション、ビジネスモデルのイノベーション、構造的イノベーション、マネジメント・イノベーションという五つの段階です。このハメル氏の論は、納得できる部分が多かったのは事実で、このピラミッド構造を図にして、よく講演などでも紹介していました。

 ほかにも、インタビューの終盤に「マネジメント・イノベーションの実験方法」という見出しがあります。マネジメント・イノベーションを起こすには、各企業が独自の実験を重ねる必要があるという考え方です。

 この論文を読むずっと前、私がネスレ日本の社長に就任した翌年の2011年から、すでに「イノベーションアワード」という「実験」を始めていました。「イノベーションアワード」とは、年に1度、全社員からイノベーションのアイデアとそれを実行して検証した結果を募集し、優れたものは実際に会社のビジネスとして実行する取り組みです。私としては「イノベーションアワード」という実験を重ねることで、イノベーションの本質に迫りたいという思いがありました。自分の経営の方向とハメル氏の論文の言説が一致したことに、力を得た思いがしました。

 ただ、しっくりこない部分があったのも事実です。ハメル氏の考え方でイノベーションのすべてが説明できるかという点では、疑問符が浮かびました。あるいは、イノベーションとは何かという決定的な一文が書かれていないことにも歯がゆさを感じていました。

大企業にも通用するイノベーション論

 それから間もなくして、スコット D. アンソニー氏の「スタートアップ4.0」(DHBR2013年8月号)が掲載されました。

 この論文には「これからの時代、イノベーションはむしろ大企業から起こる」と書かれています。これを読んで、自分が目指している姿がまさにこれだと合点がいきました。イノベーションを起こす主体がスタートアップ企業ばかりではないということを証明したかったのです。

 論文では、その推進力となる存在として、イノベーションの実現をリードする「カタリスト」について言及しています。大企業にカタリストと呼ばれるアントレプレナーが生まれれば、スタートアップよりも資金力、ブランド力などリソースの豊富な大企業が有利に展開できるという論調です。

 これはまさに私自身が抱えている課題でもあるのです。私自身、ネスレ内で数々のイノベーティブな事業を生み出すことができました。しかし、次の世代、同じような「カタリスト」を、私自身がどう育てるかが課題なのです。世界を見渡すと、創業オーナー経営者以外にイノベーティブな「カタリスト」が出てきていないのが実情です。この論文にも大企業の中でいかにしてカタリストを生み出すかという部分が書かれていません。

 これは当然で、まだ事例もなければ方法論も確立されていないことは、どんなに優れた経営学者や経営コンサルタントでも言及できない。理論は後付けなのです。現役の経営者は論文に書かれていない新たなことにチャレンジしなければならないのです。私自身、社内で「イノベーションアワード」を実践しているのは、まさにこの「カタリスト」をつくりたいという思いからであることが、この論文を読んで再確認できました。

わが意を得たりだった、
クリステンセンの最新論文

 最近では、クレイトン M クリステンセン氏らの「Jobs to Be Done:顧客のニーズを見極めよ」(DHBR2017年3月号)が秀逸でした。この論文に書かれていることと、私が言い続けてきた「マーケティングとは顧客の問題解決で、イノベーションは顧客が気づいていない問題を解決したときのみ生まれ、顧客の気づいている問題を解決するのはすべて『リノベーション』である」という考え方が、まったく一緒だったからです。

 論文には「『ジョブ』とは、個人がある状況下で真に達成したいことを、便宜的に表したものである」「顧客の特徴、商品の性質、新しいテクノロジー、トレンドよりも、状況のほうが重要である」「優れたイノベーションは、それまで不十分な解決策しかなかった、あるいは解決策がまったくなかった問題を解決する」「ジョブはたんなる機能の話ではなく、非常に社会的、感情的な面を持つ」と書かれています。これらは、私の言う顧客の気づいていない問題に置き換えることができます。

 20世紀は、石油と電気による第二次産業革命の恩恵によって生み出された商品が、顧客の気づいている問題を解決することに大きく寄与してきました。しかし、顧客の気づいている問題を解決するときにイノベーションが起こらなくなり、商品は売れなくなっていきます。そして21世紀のいま、今度は顧客の気づいていない問題を解決することが求められる時代に変わっています。この論文に書かれているように、サービスやビジネスモデルによって顧客の問題解決を図る方向へ向かっているのです。

 自分が考えていることは正しかった。そういう意味でも「わが意を得たり」の論文だったので、すぐに英語版を取り寄せて全役員に配りました。先ほどの2つの論文も購入して、役員に配っています。私が言っていることを裏づけてくれるインタビュー記事や論文は、可能な限り社員と共有するようにしています。

経営者はDHBR論文の先を行かなくてはならない

 一昨年、フィリップ・コトラー氏が「ワールド・マーケティング・サミット」ではじめて「マーケティング4.0」について言及しました。マーケティング4.0は、個々の自己実現欲求を満たすようカスタマイズされた製品やサービスを提供することを目指すという考え方です。ゲイリー・ハメル氏の書いたイノベーションのヒエラルキーの頂点にあるマネジメント・イノベーションの一種ということになります。

 コトラー氏は何を根拠にマーケティング4.0を考え出したのでしょうか。それは、ネスレ日本で展開している「ネスカフェアンバサダー」です。マズローの欲求段階説の頂点にある自己実現を満たすのがこれからのマーケティングであると言ったのは、アンバサダーになった人たちが、自己実現を満たすことを望んでいると看破したからです。

 まったくの想定外でした。私は「ネスカフェアンバサダー」というイノベーションを思いつくことはできても、それを自己実現と結びつける発想はありません。そうした視点で見られるのは、コトラー氏ならではの偉業です。アカデミックな世界も、常にマーケットで新しく起こっていることを探し、新しい理論を導き出そうとしています。

 ただし、それはあくまでも過去の事例を研究したうえで新しい論説を考察するという姿勢です。私の感覚では、それはもう「古い」のです。現役の経営者は、とくにイノベーターとして変革を推進する経営者は、彼らより数歩先を走っていなければなりません。つまり、ゼロからイチを生もうとするイノベーションを起こそうとしたときに、DHBRは「教科書」にはならないということです。

 経営者がDHBRの論文を読んで、そこに書かれていることを実践しているようでは遅い。なぜなら、経営学をつくっているのはアカデミックな世界の学者ではなく、経営者だからです。だから私は、冒頭に申し上げた自分の経営を自己採点したり、頭の中を整理したりする視点でDHBRの論文を参考にするのです。

 そうは言っても、ここに書かれているような論文を書く能力は、私にはありません。アカデミックの世界の人のほうが、体系的にまとめる能力は圧倒的に優れています。私が考えていることを洗練された形で「言語化」してくれているのも、参考になる要因です。言語化することは、考えを整理、統合することです。

 そして、何より重要なのは、目に見えるアウトプットとして社員と共有できることです。私の頭の中で「これはいける」という感覚があっても、それを社員と共有するには、わかりやすい言葉に置き換えたコミュニケーションでしか実現できません。そうした点においても、DHBRの論文は私にとって非常に有益なものになっているのです。