コラボレーションの必要性が問われているが、その本質が誤解されてはいないだろうか。本来は、波風を立てずにやることではなく、そこに建設的な対立が求められると筆者はいう。


 いま、「コラボレーション」が期待の重さにつぶれかけている。

 本来は、行きつ戻りつする厄介なプロセスが、常に協和的かつ効率的であってほしいという願望の犠牲になっているのだ。いつでも全員が同意し、支え合い、笑顔であるべきだという文化規範ゆえに、より偉大なイノベーションや優れたリスク緩和をもたらすという、コラボレーションの目的が果たされないおそれも出てきた。いわゆるコラボレーションには、もう少しの「対立」が必要である。

 あなたはおそらく、コラボレーションは対立と対極にあると教えられてきたのではないだろうか。一部の文化圏では、「チームワーク」という言葉のイメージは信じられないほど美しい。完全にシンクロしてボートを漕ぐ選手たち、あるいは、一糸乱れずに編隊を組む飛行機。 チームは「同じ船に乗って」いて、よきチームプレーヤーは「同じ方向に向かって船を漕ぐ」 。ただ、そのように理想化されたチームワークとコラボレーションが、多くのチームを無力化している。