数値管理のフロンティアはどこに

 これまで述べてきたような数値管理を最大限に活用しようとすると、その限界として立ちはだかるのが、取得しにくい数値の存在である。特に非財務的な情報を扱う際には、数値として取得しにくいものの、戦略的に重要な数値をどのように手に入れるかが勝負の分かれ目となる。

 インターネット関係のスタートアップであれば、自社の製品やサービスが常時ネットワークに接続された端末で展開されていることが大半であるため、多種・多様なデータを取得することが比較的容易にできるだろう。また、営業部隊やコールセンター、サポートスタッフなど、人間が情報を取得して入力できる体制を整備できる事業構造であれば、他の用務の合理化によって余裕時間を生み出し、それにより必要なデータの収集・入力を依頼することが可能だ。

 しかし多くの場合、最も重要な情報は定性的であり、また個々人の暗黙的な理解の中に存在している。そのため取得は困難であり、また取得の場合のコストも膨大となる。こうした無形資産に分類される知識や能力、さらには感情や人のつながりをデータで理解することは極めて難しい。したがって、もし競合よりも効率的に情報を収集し、それを活用することができれば、飛躍的に自社の競争力を高められるとも言える。

 KPIは、伝統的にはSMARTの頭文字をとって、明確で(Specific)、計量できる(Measurable)、権限移譲が可能な(Assignable)、実現可能であり(Realistic)、期限が設定された(Time-related)ものであるべきでだと考えられてきた[注36]

 だが、SMARTは元来1981年に提唱された概念である[注37]。それから35年以上が経過したいま、技術進化と競争の激化により、明確で計量できる定量的に把握しやすい数値のみを捉えていては、競争に立ち遅れる時代となりつつある。現代において本質的な差別化を実現するデータは、実際のところ明確ではなく、計測が難しく、責任者が定義しにくく、収集が困難で、絶えず継続的に管理し続けなければいけないデータではないだろうか。

 たとえば、ホテルチェーンのリッツ・カールトンが名声を築いた背景には、顧客データベースの活用がある。同社では、ホテルのスタッフが顧客と話す際の1つひとつの顧客のコメントに耳を傾け、顧客の情報をあらゆる角度から収集していた。それを当時はまだ未成熟であった顧客データベースに入力し、顧客に関わる全スタッフがそれを参照できるようにしたことで、顧客一人ひとりの好みを反映したパーソナルサービスの提供を実現した。これがリッツ・カールトンの名声につながり、小規模ホテルチェーンであることの不利を挽回させたのだ。

 現代においては、ネットワークに接続された小型センサーを活用して幅広い環境情報を取得することや、これまでに活用されてこなかった未整理かつ大量のデータを深層学習によってシステムに自律的に解釈させることが、現実的な費用、時間、労力で可能となりつつある。IoT、ビックデータ、人工知能と呼ばれるような技術トレンドは、着実に経営の現場に浸透しつつある。リッツ・カールトンが情報を武器に既存の高級ブランドの序列を突き崩したように、こうしたデータを活用する企業が、新たな勢力として台頭する可能性があるだろう。

 少なくとも、こうした新たな技術を活用し、数値と戦略を結びつけることが、避けては通れない未来が刻一刻と近づいている。

***

 さて、次回は定量化が議論となる数値管理とは裏側にある、組織文化、組織フィールド、センスメイキングなどの定性的な議論を取り扱う。組織の慣習、文化、常識、非公式のつながりを意図的に設計し、そしてそれらを醸成することも、戦略家にとって欠かすことのできない日常業務である。戦略を浸透させるうえで不可欠なこうした要素を、どのように議論すべきかを考えたい。

【本記事の要点】

・管理会計は、経営戦略と同じく、1965年の書籍によって体系化された
・1990年代に管理会計と経営戦略の距離が大きく縮まった
・BSCやKPIの議論が、非財務的情報を財務情報と接合したことが転換点となった
・BSCが組織の全容を明らかにするのに対して、KPIは重要指標に焦点を当てる
・BSCもKPIも、その導入に当たっては全社的な取り組みが必要
・BSCもKPIも、事業環境や組織構造の変化に合わせ、継続的な刷新が必要
・複雑化した巨大組織では、各種指標を各事業、機能、チーム、個人に因数分解する
・突然の変化に対応すべく、ときには本社主導の機動的経営資源投入も求められる
・論理的かつ構造的な数値管理と、柔軟で機動性ある資源投入の両立が成功には不可欠

[注36]これは、1981年のジョージ・ドランの解説を元にしているが、これ以外にも多様な頭文字の解釈がある。たとえば、Mを「誘引づけられた(Motivating)」、Aを「合意された(Agreed)」や「到達できる(Attainable)」、Rを「関連した(Relevant)」、Tを「追跡可能な(Trackable)」とするものがある。
[注37]Doran, G. T. 1981. There's a S.M.A.R.T. Way to Write Management’s Goals and Objectives. Management Review, 70(11): 35.
 
謝辞:本記事の執筆にあたっては、立命館大学経営学部の松浦総一氏、静岡県立大学経営情報学部の上野雄史氏、起業家・エンジェル投資家の有安伸宏氏に貴重な助言をいただいた。また、慶應義塾大学の坂本拓馬君からデータ整備の支援を受けた。ここに深謝の意を表する。

 

【著作紹介】

『経営戦略原論』(東洋経済新報社)

有史以前からまだ見ぬ近未来まで――経営戦略の系譜をたどり、実践と理論の叡智を再編する。経営戦略論は何を探究し、科学として、実務として、どのような発展と進化を遂げてきたのか。本書は、有史以前からAI時代まで、戦略論の議論を俯瞰する壮大なストーリーである。

お買い求めはこちら
Amazon.co.jp紀伊國屋書店][楽天ブックス

 

『領域を超える経営学』(ダイヤモンド社)

マッキンゼー×オックスフォード大学Ph.D.×経営者、3つの異なる視点で解き明かす最先端の経営学。紀元前3500年まで遡る知の源流から最新理論まで、この1冊でグローバル経営のすべてがわかる。国家の領域、学問領域を超える経営学が示す、世界の未来とは。

お買い求めはこちら
Amazon.co.jp紀伊國屋書店][楽天ブックス