健全な社会では、公共セクターで尊敬される政府の力と、民間セクターの責任ある企業、そして、私が多元セクターと呼ぶ強力なコミュニティーとの力の均衡が保たれている。多元セクターとは、我々の多くが関わっているクラブ、宗教団体、地域病院、財団、NGO、協同組合などを指す。3つのセクターの中では最も認知度が低いが、大規模かつ多種多様である。少なからぬ人が企業に勤め、多くが選挙で投票する。だが我々全員が、生活のほとんどを多元セクターのコミュニティー内で過ごしている(米国には、全人口を上回る協同組合会員が存在する)。

 この多元セクターこそが、多くの国で公的な政府セクターと民間市場の力の間を振り子のように行き来することで引き起こされる、破壊的な状況から我々を救うのだ。特に今日、右対左という時代遅れの二極化した政治によって失われたバランスを取り戻すには、この多元セクターに頼るほかないのかもしれない。

 世界で最も民主的な国々は、前述の3つのセクターのバランスを最適に保っている。たとえば、カナダ、ドイツ、北欧諸国などだ。米国も第二次世界大戦後の数十年間は、このバランスに近づいていた。高い税金と手厚い福祉制度にもかかわらず、社会的にも経済的にも繁栄、発展した時代を思い出してほしい。

 やがて、ベルリンの壁が崩壊した。これが間違いなく、西側諸国の民主主義に打撃を与えることになった。壁が崩壊した理由を我々が見誤ったからだ。西側諸国の有識者は、いまやそれが偏った見方であることは明らかなのだが、資本主義の勝利だと主張した。とんでもない。勝利したのは「バランス」だったのだ。東欧の共産主義諸国は、公共セクターが強力すぎて完全にバランスを失っていた。かたや、西側の成功している国々は、3つのセクター間のバランスがうまく保たれていたのである。

 こうした誤解により、それ以降は狭義の資本主義が台頭し、米国をはじめとする多くの国々が逆方向にバランスを崩し、民間セクターの利益を重んじるようになった。こうして見ると、トランプ自身が問題ではなく、もっと大きな問題が極端な形で表出したのである。すなわち、政府に産業界が関与しすぎて、民間セクターの利益が優先されるアンバランスが問題なのだ。

 実は米国では、この問題は長い時間をかけて大きくなってきた。建国からわずか四半世紀後、トーマス・ジェファーソンは次のように述べた。「我々は、金にまみれた企業の貴族政治を最初から破壊することを望む。彼らはすでに、我々の政府の強固さを試しているのだ」。1世紀ほど前には、「独禁法取締官」と呼ばれたセオドア・ルーズベルトが、強大化した企業の「由々しき弊害」について語り、「社会の改善を求める者は、国家から暴力犯罪を根絶することを目指すように、産業界から狡猾な犯罪を撲滅することを目指さねばならない」と訴えている。その数十年後、ドワイト・アイゼンハワーは警告を発した。「我々は、政府の委員会などにおいて、それが意図されたものであろうとなかろうと、軍産複合体による不当な影響力の獲得を排除しなければならない」

 懐疑論者は、「まだ起きていないことを心配してきたのなら、もう心配しないほうがいい」と言うかもしれない。しかし実際のところ、リスクは時間とともに着実に増大している。特に1990年代の資本主義の勝利以降、急激に高まっているのだ。

 米国最高裁判所は、1886年、法人に個人と同等の権利を認めた。さらに最近になって、その権利を政治運動への資金提供にまで拡大した。これが間違いなく、米国社会で過去2世紀にわたり少しずつ拡大してきた民間セクターに、一気に力が傾く転換点となった。見回してみるといい。スキャンダルとも呼びたくなる所得格差の拡大、過剰消費によって悪化する気候変動、国家主権のみならず民主主義をも脅かすグローバル化の無秩序な勢力。世界中の有権者が変化を求めるのも納得がいく。たしかに、その結果のいくつかは思慮に欠けていた。それでも彼らの懸念にはまっとうな理由があり、真摯な取り組みが求められる。

 政府内と同じく、産業界と政府との関係には権力の分散が不可欠だ。だがいま、両者の関係性は米国の民主主義そのものを脅かすほどに混乱をきたしている。経済における自由企業が、社会において人格化した企業として自由を得たらどうなるだろうか。エイブラハム・リンカーンの言葉を借りるならば、真の人民の、真の人民による、真の人民のための政治は地上から消え去るだろう。


HBR.ORG原文 The U.S. Cannot Be Run Like a Business March 31, 2017

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ヘンリー・ミンツバーグ(Henry Mintzberg)
マギル大学デソーテル経営大学院(クレグホーン寄付講座)教授。最近刊に『私たちはどこまで資本主義に従うのか』がある。