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独在と共在、存在の二重性を受け入れる
編集部(以下色文字):昨今、職場で従業員が孤独に陥ることが、個人にも組織にもさまざまな問題をもたらすことがわかってきました。孤独という病(やまい)をどう治療すればよいかと問われた時、仏教の視点からはどんな答えを導くのでしょうか。
藤田(以下略):仏教の世界ではそもそも、孤独を病としてとらえることをしません。なぜなら、人は生まれながらにして孤独な存在だからです。その証拠に、誰も自分の老・病・死を、他人に代わってもらえない。哲学者の永井均さんは、それを「独在性」と呼びます。
私というあり方は「比類なき存在」であり、宇宙の中で、自分がそのように超特別な唯一無二の存在であることを自覚する。これは人間にとって大切な能力であり、これができるのは、おそらく人間だけでしょう。他の生き物は、そこまで抽象的に考える力を持っていませんし、そのための言語も持っていませんから。
ただし、ここで忘れていけないことは、人は絶対的に孤独であると同時に、誰もがつながっているということです。仏教ではそれを「縁起」と呼びます。他との関係性の中で初めて、それとして存在できるということです。万物はこのつながりのネットワークの中にあり、その外には何一つ存在することはできません。
仏教によれば、存在とは必ず「共在」であるということです。ベトナム生まれの禅僧であるティク・ナット・ハンさんは、それをインタービーイング(相互共存)と言いました。存在するものは、そういうあり方になっています。
独在と共在。これは存在の不思議な二重性と言ってもよいでしょう。独一無比にユニークな存在である独在性と、全体と一つにつながっている共在性とが矛盾なく、同時に成り立っている。その綾模様の中に、人間の苦しみや悲しみがあり、幸せや喜びもある。
独在と共在の両立が矛盾していないことはよく、波の例えで表されます。仏教で「水波の喩え」といわれているものです。海に風が吹いて波が立ち上がっている時、その様子を上から見れば、波頭の点しか見えないのでバラバラです。でも横から見る、すなわち一つ次元を上げて立体的にとらえると、一つの海という水が個々のユニークな波のすべてをつくっていることがわかるでしょう。それぞれの波は独自の高さや大きさを保ちながら、海としてつながっているのです。
人は、この二重構造をどうすることもできません。なぜかはわからないけど、そういうあり方になっている。どうあがいても存在のあり方には逆らえませんから、それに随順した生き方をしていくことが自然であり、賢明です。二重構造のうちの独在性だけ、あるいは共在性だけに囚われるのは、文字通り一面的で、それではバランスを欠いた生き方になってしまうでしょう。



