最新の事例や理論が求められるなか、時代を超えて読みつがれる理論がある。『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』(DHBR)の過去の論文には、そのように評価される作品が無数に存在します。ここでは、著名経営者や識者に、おすすめのDHBRの過去論文を紹介していただきます。第8回は、スノーピーク社長の山井太氏により、同社が徹底するユーザー主義の経営を実践するうえで参考にされた論文が紹介されます。(構成/新田匡央、写真/鈴木愛子)

DHBRは時代を先取りしている
私が、父親からスノーピークの経営を引き継いだのは1996年でした。その数年前から現在まで、20年以上にわたって『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』(DHBR)を定期購読しています。
DHBRを読み始めるようになったきっかけは、社長に就任するにあたり、経営の勉強を本格的にすべきだという思いがあったからです。DHBRに掲載されている論文は、いま対峙している「すぐに答えの出せない」現実を先取りして、体系立てた形でその構造を提示してくれます。私の考えを社員に伝えるときに、それを的確に言語化するツールとしても活用しています。実際の経営を進めるうえで役立つことに加え、自分の好奇心を満たしてくれる面白さがあることが、DHBRの魅力ではないでしょうか。
今回を機に改めて読み直してみて、顧客といかに向き合うか、あるいは、経営の根幹を成すミッションをいかに構築して浸透させるかが、私の問題意識になっていることを再認識しました。特に顧客価値をどう築くかについては、私がスノーピークの経営に携わってから大きく手を入れたところでもあります。それを実行するうえで、DHBRの論文からは大きな示唆を得ました。
「家業」から「企業」に脱皮するうえで
経営の土台を構築するヒントを得た論文
ヤマコウ(現スノーピーク)の創業者である父は、創業期の厳しい状況をがむしゃらに生き抜くことに必死だったと思います。その当時、スノーピークが家業にとどまっていたのも、いま考えれば当たり前のことです。当社の2代目として会社を引き継いだ私の役割は、オーナー企業であることの利点を保ちつつ、それまでの「家業」から「企業」へと進化させることにありました。
それを実現するうえで大きな影響を受けたのは、ロバート・サイモンズによる「エンパワーメントを成功させる4つの方法」(DHBR1996年1月号)です。家業ではなく企業としてマネジメントを行うには、エンパワーメント(権限委譲)が不可欠です。しかし、単に権限を委譲するのは無責任なマネジメントであり、社員の暴走すら招きかねません。社員一人ひとりが自由に創造性を発揮しながら、適切なマネジメントを実行するうえで何をすべきか。この論文からは、そのための重要なヒントを学びました。
サイモンズは具体的に、「数値診断による管理」「経営理念による管理」「行動基準による管理」「情報共有による管理」という4つの方法を示しています。私はこれらのマネジメントをすぐに取り入れ、20年以上経ったいまでも大切にしています。
現場での導入に当たり、数値診断による管理はそれほど難しくはありませんでした。当社はもともと、客観的な指標によるマネジメントを採用していたからです。そこで用いるKPI(重要業績評価指標)は時代によって変わるものですが、考え方そのものの重要性が変わることはありません。
経営理念による管理についても、当社で導入するハードルは高くありませんでした。スノーピークは「スノーピークウェイ」という独自のミッションを早い段階から掲げており、その浸透に力を入れていたためです。情報共有による管理は、すでにスノーピークの強みの1つでもありました。早い時期にPCを1人1台与えたり、グループウェアを使い始めたり、情報共有を重点的に担うスタッフを置いたりするなど、全社的に力を入れていました。
当社で実行するうえで難しかったのは、行動基準による管理でした。企業には継続的な成長が求められ、当社におけるビジネスのフィールドも年々拡大しています。新規事業を決断する際、たとえば、ある分野に進出すれば50億円の売上げ増が期待できるが、それが他社のコピーにすぎないという場合もあるでしょう。そのときに、目の前の誘惑に打ち勝ち、踏みとどまることができるか。正直に申し上げると、その点は常に悩ましいです。
私の中では昔から「やらないこと」を決めていました。商品を開発するときに他社の模倣は絶対にしない、長く使ってもらうために簡単に壊れるものはつくらない、などです。それらは当たり前のことですが、それ以外にもさまざまな行動基準があります。
ただ、それが明文化されてはいませんでした。いまのように社員が300人規模になると、自分ですべてを管理するわけにはいかず、現場マネジャーの主体的な判断で日々の業務を遂行しなければなりません。行動基準による管理を徹底させるためにも、これからは当たり前のことを当たり前だと放置せず、しっかりと形にすべきだと思っています。
また、これまではうまくいっていた経営理念による管理も、会社の成長に伴い見直すべき時期に来ていると感じています。当初はスノーピークウェイの意義を毎日のように社員に訴えていましたが、2000年頃からはそれほど口うるさく言わなくなりました。すでに企業文化として浸透していることを、あえて強調する必要はないと考えたからです。
しかし、当社の社員数はここ5年間で4倍近くになりました。この数年で入社した社員にまで、スノーピークウェイがしっかりと浸透しているのか。立ち止まって点検したとき、どうもそうではないなと思う機会が増えています。そのため、当時から大切にしているこれら4つのマネジメント法がうまく機能しているか、改めて見直したいと考えています。
1996年にこの論文を読んだことは、スノーピークにとって幸運でした。そして、20年以上前の論文をいま読み返しても、まったく色褪せることはありません。これは、DHBRの論文が普遍的であり、また本質的であることの証ではないでしょうか。
「ユーザーを幸せにする」
その意義を実感した特集
「私達は自らもユーザーであるという立場で考え、お互いが感動できるモノやサービスを提供します」。スノーピークがこれをミッションの1つとして掲げたのは、1990年頃だったと思います。ただ、そうは言いながらも、本当にユーザーの皆様と直接お会いできたのは、1998年10月から「スノーピークウェイ」を始めたことからでした。
スノーピークウェイは、部門を問わず当社のほとんどの社員が参加し、ユーザーと寝食をともにするキャンプイベントです。ユーザーの声を直接聞きたいという、現場社員の発案で始まりました。この頃から、全社を挙げて「ユーザーを幸せにする」というテーマにフォーカスしました。ユーザーの人生に価値をもたらすことの重要性について、全社員が問い直すべきだと考え始めたからです。
DHBRが「Win-Win関係を構築する 顧客生涯価値のマーケティング」(DHBR1999年7月号)という特集を実施したのは、まさに同じ時期だったので、よく覚えています。自分たちの課題設定から1年も経たないうちに、DHBRの論文でそのための方法論が体系的に示されたことにより、私たちが信じることに間違いがないと思えたと同時に、どうすれば実行できるのかを具体的に学べました。
当社はそれまで、キャンプ用品メーカーとして、モノとサービスをつくることに重点を置いていました。オートキャンプブームに乗って急成長した時期はありましたが、私が社長に就任した頃はブームも終わり、売上げは低迷していました。優れたモノやサービスをつくっているという自信はあったものの、ユーザーにその価値を伝えるためのプロセスが不十分だったからです。それを教えてくれたのは、スノーピークウェイに参加してくれた30組のスノーピーカーたちでした。
ユーザーからの声で特に多かったのが、「値段が高い」「品揃えが悪くて欲しいものが買えない」という指摘でした。私はもちろん、社員もその場にいたので、彼らの不満をすぐ共有し、解決するために動き出しました。
まず、問屋との取引をやめて中間マージンを圧縮することで価格を下げました。次に、量販店のような場所を含めて1000箇所で取り扱っていた商品を、優良な250箇所での販売に絞り込みました。それによって店舗数は減少しましたが、最大でも車で1時間以内の範囲に、従来と比べて3割安い価格ですべての商品を購入できる体制をつくることができました。これはスノーピークにとって、真の意味でのユーザー主義の始まりだったと思います。
モノづくりは、ビジネスにおける「いろは」の「い」にすぎない。そこを満たしていても、私たちには「ろ」や「は」が欠けていたのです。以来、ユーザーとの絆がより深まり、それがユーザーとのコミュニティの構築へとつながり、彼らからのフィードバックが入り続けるようになったので、顧客価値を上げるうえで不十分な点を即座に改善できる体制ができています。
スノーピークのマーケティングの発想は、ユーザー1人ひとりと向き合うことから生まれます。マスマーケットで勝負する方法を考えることはありません。誰も事業化していない分野にモノやサービスを生み出し、新たなマーケットをつくるのです。大企業ではないからこそ、ユーザーが幸せになる領域を深掘りし、その周辺にあるブルーオーシャンで戦えることは、スノーピークの強みだと考えています。
ユーザーとの絆を育むことこそ、
スノーピークの価値であると再認識した論文
スノーピークウェイは、ユーザーとスノーピークの絆を育む象徴的なイベントとしていまも続いていますが、まったく問題がなかったわけではありません。長く続けていることで、キャンプを開催すること自体が目的になってしまい、イベントの内容がマンネリ化した時期がありました。いまから、5年ほど前のことです。
当時、新規のユーザーが半分以上参加してくれているにもかかわらず、社員が常連のユーザーとばかり親交を深めるために、新しいユーザーが入り込めない雰囲気が生まれていました。また、ユーザーは社員とコミュニケーションをとりたいのに、社員がスタッフサイトから出てこないということもありました。そうした状況が重なり、イベント後のアンケートには数々の不満点が記載されていました。
キャンプの開催は顧客満足度を高めるための手段であり、けっして目的ではありません。ユーザーからの要望にしっかりと応えられなければ、当然、満足度は下がります。「楽しくなかったから、次は参加しない」という厳しい声もあり、実際、応募倍率は目に見えて下がっていました。
そのときに思い出していたのは、セオドア・レビットによる「顧客との絆をマネジメントする」(DHBR1994年6月号、2007年10月号再掲)です。私たちは、「顧客を見つけてつなぎ止めておくよりも、むしろ望みどおりの価値をもたらすこと」「顧客は、製品ではなく『期待』を購入する。言い換えれば、『売り手から約束されたとおりの便益を得られるだろう』という期待を買う」という原則を見失っていたのです。
この出来事を通して、ユーザーの生涯価値を向上するうえでは、ユーザーとの絆を育むことに徹底的にこだわらなければならないと再認識しました。そうしてイベントを始めたときの純粋な気持ちに戻り、ユーザーの意見に真摯に耳を傾けることで改善した結果、現在の応募倍率は最盛期の水準になっています。
ユーザーと強くつながることは、些細な不備で評価を下げるリスクを孕んでもいます。だからこそ、私たちはユーザーのために成長し続ける必要があります。商品を1度買ってもらえたからといって、彼らとの関係が終わることはありません。まだ事業化してない分野も含めて、ユーザーとの絆を深める製品やサービスはたくさんあります。その1つひとつを、ユーザーの幸せにつなげるものにすることが求められていると思います。
顧客価値の向上を目指すことが
株主価値も向上させると確信を得た論文
当社は、2014年にマザーズに上場し、2015年には東京証券取引所第一部に市場変更しました。上場企業としては当然、株主価値の向上を目指していますが、そのためには何より、顧客価値を最大化することが重要です。さらに、それを実現するには、社員が満足して働ける環境を整えることが不可欠です。社員が生きいきと働くことで、ユーザーが満足できる製品やサービスを提供でき、結果的に株主の利益に貢献する。私はそのように考えています。
応援してくれる株主のために短期的な利益を上げたい、という気持ちがまったくないと言えば嘘になりますが、やはり、企業は長期的な成長を優先すべきだと思います。その意識を忘れてしまうと、スノーピークとしてはやるべきではなくても、事業化すれば大きな利益を期待できる分野に進出したくなるかもしれません。でも、それはユーザーの期待を裏切る行為であり、長い目で見たら株主の利益を損なう行為でもあります。
スノーピークが上場を目指すにあたり、自分たちが何を大切にすべきかを考えていたときに出会ったのが、ロジャー・マーティンによる「顧客資本主義の時代」(DHBR2010年7月号)です。この論文のサブタイトルにある「株主価値から顧客満足への転換」という考え方に共感し、たとえ上場しても、スノーピークの軸を変える必要はないという確信を得ることができました。
当社は昨年(2017年)、赤字決算となりました。それは、長期的な成長を実現するために必要な投資を行ったからです。そのとき、短期志向の株主は売りを選択したので、株価が一時的には下がりましたが、いまは持ち直しています。それは、中長期のスパンでスノーピークを評価してくれている株主に支えられていることの証明だと思っています。
そうした株主が増えれば、私たちも中長期的に成長するための戦略を実行できます。それがさらなる顧客満足を実現し、株主の幸福にもつながる。その循環を維持することこそスノーピークのビジネスの根源であり、この論文を読み返しながら、そこだけは絶対に譲ってはいけないということを再認識しました。