コミュニティをコントロールする
という矛盾

 コミュニティファーストの考え方は、ある意味で非常にシンプルといえる。仮説やコンセプト、プロダクトの設計から始まっていた開発プロセスを、コミュニティづくりから始めるだけだ。外部企業で働く人々、クリエイター、デザイナー、行政担当者、エンドユーザーなど多様な立場の人々によって構成されるコミュニティの力を最大限活用し、共働して「正しい問い」を立てる。イノベーションを駆動させるエコシステムをつくり、ビジネスを立ち上げていく。それこそ、コミュニティファーストのあり方なのだ。

 戦略コミュニティはバリューチェーンの上流でこそ力を発揮する。しかし、この段階では製品はおろか、プロトタイプすらない。アイデアはあっても、ビジネスの形すら見えていないかもしれない。

 この状況下で仮説をコミュニティに投げ、アイデアや意見を集めることで開発を始めていく。もはやコミュニティを活用するというよりも「コミュニティと共にビジネスを育てていく」感覚かもしれない。だからこそ、コミュニティが生まれた時点では想像もしなかったような、常識を超えるイノベーションが生まれる可能性があるのだ。

 しかし、ここで一つの疑問が出てくる。それは、「プロダクトやコンテンツがない状態でも、先行してコミュニティは育てられるのか?」という問いだ。

 BMWは製品がなくても、ブランドがあり、資本力がある。先ほどの戦略コミュニティの構築において、そうした力は小さくない効果があったと考えるのが当然だ。

 また、コミュニティという言葉には本来、「自然発生的」「自然成長的」というニュアンスがある。地域社会、サービス、ネットワーク、宗派といったようなプラットフォームの上にコミュニティは形成されるが、どのように拡大し、発展していくかを完全にコントロールすることはできない。もっといえば、コントロールしようという意思が見えたところで、参加者の意欲はなくなるだろう。そうなれば、コミュニティが持つ力は損なわれ、そもそも何のためのコミュニティなのかということに陥ってしまう。

 FacebookやTwitterがグローバル規模で爆発的にユーザーを拡大できたのは、果たして彼らの戦略が奏功したものだったか。それとも、コミュニティが持つ力によって自然に実現したものだったか。答えは、いずれかではない。両方のベクトルが合わさったものと見るべきだろう。すなわち、コミュニティにはコントロールできない部分が必ずあるということだ。明確な意図をもって活用しようとしても、まったく意図しないものが生まれる。結果的に、ビジネスの役にも立たない成果物だけが残る……こともある。

 つまり、私が使う戦略的コミュニティという言葉そのものが、実は矛盾をはらむことになる。だが、私はこの連載の中で、その矛盾が起きないことを解き明かしていきたい。戦略的コミュニティの成功事例を分析し、あらゆる識者に「戦略的コミュニティ論」に対する意見を聞きながら、その疑問への答えを示していきたい。