ウォークマンにNAND型フラッシュメモリ……
日本のディープテック成功例はこんなにある

 VHS、ウォークマン、CD、NAND型フラッシュメモリ、DVD・・・・・・。これらは、かつて日本がコンシューマーエレクトロニクス業界で世界を席巻した偉大な製品群である。

 VHSは、1976年に日本ビクターによって開発された家庭用ビデオテープレコーダー(VTR)の映像記録方式の1つ。標準規格をめぐってソニーのベータマックス方式と激しく争って勝利し世界的に普及、家庭用ビデオ規格の代名詞となった。

 1979年7月、ソニーから国内発売されたウォークマン。これはテクノロジーそのものよりも、世界中の人々のライフスタイルに革命を起こした製品といったほうが正しいだろう。また、CDの父とも呼ばれた、ソニーの故中島平太郎氏を中心とした技術者陣が開発をしたコンパクトディスク(CD)もそうだ。NAND型フラッシュメモリは、筆者の大先輩、元東芝の舛岡富士雄氏を中心としたグループが開発した。

 DVDも含めたこれらの規格や製品は、現在スタートアップと呼ばれているような小さな企業からではなく、筆者が所属していたような大企業の研究所やプロジェクトから生まれている。

 もちろん、読者もこれらの成功事例はよくご存じのことだろう。だが、ここで筆者が注目したいのは次の三つのポイントである。

 1. 企業内「エンジェル投資家」の存在
 2. プラットフォーム(規格)の主導権を取った
 3. 提案型エンジニアの存在

 それぞれについて、述べていこう。


 1. 企業内「エンジェル投資家」の存在


 東芝のNAND型フラッシュメモリは、いまでこそ大成功事例といわれているが、筆者の先輩である小林清志・元東芝副社長によると、大規模な損を出しても粘り強く支えてくれる役員の方がいたのがよかったそうだ。

 NAND型フラッシュメモリは、1980年代に開発され、1990年代前半に製品化されたものの、当時は返品とクレームの嵐だった。その当時の東芝の主流は、半導体メモリDRAMであった。こちらが儲かっていたこともあり、DRAMの陰に隠れながら、NAND型フラッシュメモリの改良は細々と続けられた。

 当時の大山昌伸副社長らは、100億円規模の損を出しても、「いいじゃないか、やらしてやれば」と、長期間かつ大規模な損失を出しても事業の推移を支えて見守ってくれていたという。
 
 NAND型フラッシュメモリは、「ハードディスクを置き換える」と掲げてスタートしたが、実現したのはおよそ20年後である。いまでは多くのPCに入っているものの、当初の理念が実現するまでの間は、デジタルカメラをはじめとする組み込み分野で生きる道をつないでいた。それが多額の利益を生む製品へと進化したのである。

 ディープテックのスタートアップが最初につまずくのが、製品開発から量産化に至るまでの過程だ。ここで重要なのは、エンジェル投資家のように、最初に多額の資金を提供してくれ、さらに損を出しても事業が成功するまで粘り強く支えてくれる存在だ。

 1970年代から1980年代の日本企業では当時、多くの研究でこういった「賭け」がたくさん行われていて、それを許容してくれるヤンチャな役員がいた。また仲間からは「あいつは何をやっているんだ」といわれる野武士のような社員もたくさん存在していた。このような社員をヤンチャな役員たちは「きっと面白いことをするからやらせてみよう」という形で認め、企業内にも「やってみなはれ」という意識が強かった。

 これは、事業部単位やカテゴリー単位で損得を考えず、一時的には損をしても、将来は大きな利益として返ってくるならやればよいと考える経営者が多かったことに起因しているのだろう。時代背景がよかったこともあるが、企業内のヤンチャな役員たちが、いまでいうエンジェル投資家の役割を担っていたのである。