2. プラットフォーム(規格)の主導権を取った


 日本の電機メーカーが強かった70年代から80年代、ディープテック成功例に挙げた製品は、ユーザーが消費するコンテンツを流すための規格(通信規格、メディア規格)を作り、その規格をベースにコンテンツを流すためのプラットフォームを構築。そのプラットフォームを握った上で、関連するハードウエア製品を販売して高収益を得ていた。その結果、当時の日本の電機メーカーは、いまでは考え難い8%近い営業利益率(20年間の平均値)を誇っていた。

 これらの規格をベースとしたハードウエア販売が強かった頃、ディープテックとして長年の研究をベースとして、他社が真似できない唯一の技術を作り上げている事例も多かった。
 
 だが、複数の技術を組み合わせて、ユーザーが思いもしなかった新しい使い方を提案し、それを普及させるために「徹底したマーケティング」を行うとともに「コンソーシアム等による仲間づくり」を上手く行って成功した事例も見逃せない。これは、最近でいうとプラットフォームとも呼ばれている。

 この頃の日本企業のエンジニアは、標準化するといいつつ、どうすればデファクトスタンダードになるのかや、どうすれば競合よりも有利になるのかを常に考えて動いていた。先に製品を作ってしまって、一部の仲間の企業にだけ情報を出して囲い込むといったことも行われた。または、次々と自分の有利な形にインターフェースを変えていく。サッカーでいういわゆる「マリーシア」(勝っている時の時間稼ぎ等のこと)を行い、汚いやり方といわれても、規格の方向性を自分たちの思う方向へ誘導しようと、実にずる賢く行っていたのである。

  3. 提案型エンジニアの存在

「お客さまは神様です。顧客の声をよく聞きなさい」——。

 Voice of Customerといわれ、疑う余地のないようなこの考え方であるが、ことディープテックの分野に限っては、必ずしもそうではないと筆者は考えている。

 たとえば、ウォークマンがそうだろう。当時、類似製品はなかったし、顧客の声を聞いてできたものではない。「録音機能のないようなただの再生機なんて売れる訳がない」と社内でも散々批判され、実際に発売された当初も全く売れなかった。

 だが、山手線内で社員がウォークマンを付けて乗るというゲリラ的なプロモーションや、多くのセレブを活用したテレビCMを展開し、「ヘッドホンで音楽を聴く」という、これまでになかった新しいライフスタイルを提案したのである。

 全く見た事のない新しい使い方の製品を、顧客に新しい使い方として提案して成功する事業・企業を、筆者の周りでは「カテゴリー・クリエーター」と呼んでいる。ウォークマンのように、顧客が見たことも考えもしなかった製品とその使い方については、顧客の声をいくら聞いても生まれることはない。

 ディープテックとは、研究としては画期的だが、何に使うのかがはっきりとしていない要素技術のケースも多い。その場合は、本当の顧客の悩みは何かと考え、それを解決する方法を提案し、顧客を振り向かせるぐらいの気概が必要である。上手くいけば、何人か振り向いてくれるはずで、そうすれば「実は最初から考えていた」と後から付いてくる人が出てくるだろう。

 現在、企業の研究者や開発者からは「やりたいと思ったことがあってもできないんです。お客さまの声や上司に止められて……」という話をよく聞く。だが、顧客が本当に欲しいものは、単なるコストダウンした製品だけでなく、「こんなことをしたら便利だ、面白い」と思うエンジニアたちが作ったものにもある。少なくとも、昔のエンジニアは、顧客の悩みを考え抜いて、それを顧客に提案していったものだ。

*   *   *

 このように、3つの視点から日本がディープテック大国になれた理由を探った。しかしながら、1990年代からのインターネット革命によって、ハードウエア(メディア規格)によるプラットフォームの時代から、ネット・ソフトウェアによるプラットフォームの時代を経て、ソーシャル主導のプラットフォームに移ったため、日本企業の強みであった規格やコンソーシアムの重要性が薄れ、存在感が薄くなってしまった。

 とはいえ、イノベーションというのは、振り子のように移りながらも戻ってくるものだと考えている。ソーシャル全盛の後は、再びハードウエア全盛の時代を迎えるだろう。それは、ネットやソーシャルで起きた流れの変化を取り込みつつ、ヘルスケアやモビリティなど、人の命や健康が関わる領域にイノベーションが起きるからだ。

 その際、顧客が気づきもしないことを提案して世の中を作っていくという動きが極めて重要で、実は、冒頭のブースの事例からは、その変化の兆しを感じとることができたのである。

 次回は、なぜ日本企業がディープテックを失ってしまったのか、そしてそれを「取り戻す」ための処方箋について述べよう。

 

 

中島徹(Tetsu Nakajima)
東芝に入社後、研究開発センターにて無線通信の研究・無線LANの国際規格の標準化・半導体チップ開発業務に従事し、数十件の特許を取得。2009年から産業革新機構に参画し、ベンチャーキャピタリストとして、WHILLやイノフィス等、日本と米国シリコンバレーでロボティクス、IT、ソフトウエア系の出資を手掛ける。エンジニア経験を生かして投資先の業績改善にハンズオンでコミットし、中村超硬の上場や複数のスタートアップの売却などを実現。2016年にMistletoeに参画、2017年11月よりChief Investment Officerとして12ヵ国での投資活動の全般を統括。日本や米国シリコンバレー、欧州の有力な投資家・起業家とのネットワークを有する。北海道大学工学部、同大学院工学研究科修士、グロービス経営大学院修士。