時間が足りない

 有能な会社員のアダム(仮名)は花形プロジェクトに指名され、「昇進と昇給は約束されたのも同然だ」と考えていた。仕事に打ち込んで任務をこなせば給料が上がるのだから、迷わず受けるべきだろう。平日は長時間働き、週末も多少は仕事に取られるだろうから、子どもとの時間が削られるのも覚悟していた。厳しい期限、人材の管理、寄せられる期待などがストレスにつながることもわかっていた。その半面、プロジェクトを完遂した暁には褒賞が得られ、家族との時間を取り戻せるはずだと確信していた。

 ところが、褒賞は得られなかった。プロジェクトは成功したが、褒賞と昇給は他のプロジェクトで成果を上げた人物に与えられた。アダムは「よくやった」というほめ言葉をもらった後、引き続きプロジェクトを円滑に推進したが、胸中は複雑だった。退勤後に渋滞の中でハンドルを握りながら、砂を噛むような思いでいきさつを振り返り、「あれほどの時間を費やしたのはいったい何のためだったのか」と考え込むのだった。貴重な時間を無駄にした、いや失ったのだと、感じずにはいられなかった。

 アダムの気持ちはもっともである。しかし、たとえ昇進と昇給を勝ち取ったとしても同じように不満を抱いた可能性があることが、研究からわかっている。努力の結果がどうであろうと、誰しも時間を失ったという思いが次第に募っていくものだ。しかも、「ハードワークの末に手にするものによって、自分は幸せになれるはずだ」という期待は、往々にして肩透かしに遭う。家族や友人との時間も、自分のための時間も、おそらく戻ってこない。