最新の事例や理論が求められるなか、時代を超えて読みつがれる理論がある。『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』(DHBR)の過去の論文には、そのように評価される作品が無数に存在します。ここでは、著名経営者や識者に、おすすめのDHBRの過去論文を紹介していただきます。第16回は、ウェルスナビ代表取締役CEOの柴山和久氏により、人生で本当にやりたいことを見つけ実践するためのヒントを与えてくれた論文が紹介されます。(構成/加藤年男、写真/鈴木愛子)

私は現在、働く世代向けの資産運用サービスを提供するウェルスナビを経営しています。2015年に起業する前は、財務省で働き、その後ビジネススクールへの留学を経て、経営コンサルタントとして働いていました。
いまの私は、道半ばではありますが、「働く世代を豊かに」という使命を見つけて、それを実現するために経営者として働き、また、家族との時間も大切にするように意識的に努めています。ただ、ここに至るまではけっして順調ではなく、いまも悩み続けています。そこで、今回は、私がたどってきた道をお伝えしたうえで、悩んだときに助けとなるような、実践的な論文を3つご紹介します。
私が家族との時間を見直したのは、最初のキャリアである財務省を退職するときのことです。大学を卒業した2000年から大蔵省(現財務省)で働き始め、英国の財務省に2年間出向するなど仕事はとても充実していました。ただ米国人の妻と結婚したことがきっかけで、長時間労働が当たり前だった自分の働き方を見直そうと、財務省を退職してビジネススクールのINSEADに留学しました。
次に、私が人生の目的や使命と対峙したのは、マッキンゼーで働いて4年目のことでした。留学後はやりたいことが定まっておらず、就職活動では苦労したのですが、マッキンゼーに拾ってもらった後は、日本や韓国、米国で金融のプロフェッショナルとしてのキャリアを築くことができました。ウォール街に本拠を置く10兆円規模の機関投資家の資産運用をサポートするなど、仕事は年々充実していきました。
あるとき、人生で本当にかなえたいことは何か、と深く考えさせられる機会がありました。そして「日本の個人投資家向けに、オンラインのウェルスマネジメント(資産運用)サービスを立ち上げる」と宣言し、約半年後にウェルスナビを立ち上げました。決断してからは速かったのですが、人生で本当にやりたいことに出会うまでには、キャリアをスタートしてから15年が経過していました。
私が起業した理由の1つは、ウォール街の機関投資家をサポートしていたプロフェッショナルとしての考えからでした。運用額が10兆円でも10億円でも10万円でも、そこで使う数式はほとんど同じです。それをもしPCやスマートフォンで提供できれば、一般の人でも海外の富裕層や機関投資家と同じクオリティで世界水準の資産運用ができるのではないかと考えました。
もう1つの理由は、個人的な体験からでした。シカゴに住む妻の両親の家に行ったとき、「自分たちの家族の資産運用も見てほしい」とお願いされました。一般的なサラリーマン夫婦であるにもかかわらず、勤務先の福利厚生などのおかげで若い頃から世界中に分散する資産運用を30年ほど続けてきたため、億を超える資産を持っていました。これには大変驚きました。
日本で暮らす私の両親と妻の両親は、同じような年代と学歴、職歴でした。しかし、老後の金融資産が約10倍も違っていたのです。日本にも個人が質の高い資産運用をできるサービスがあれば、私の両親を含めた一般の人々がもっと豊かな生活を送り、豊かな老後を築けていたに違いない。この想いが、起業を強く後押ししてくれました。
「働く世代に豊かさを」というこのときの想いは、ウェルスナビのミッションにもなっています。資産運用を自動化するという仕組みによって、日本の働く世代が経済的な豊かさだけでなく、自由に生きられるという精神的な豊かさも得ることができればと願っています。
私自身、経営課題と向き合いつつ、家族との時間を大切にするために、人生で何を達成したいのか、何に優先的にお金や時間を使うべきかのかについて、日々、悩んでいます。ここからは、それを考察するうえで大いに参考になる論文を紹介してきたいと思います。
人生で本当にやりたいこととは何か
『イノベーションのジレンマ』などで知られるクレイトン・クリステンセン氏による「プロフェッショナル人生論」(DHBR2011年3月号)は、このテーマを掘り下げる際にとても有用です。
これは彼自身が人生の意味を見つけるうえで役立った指針をまとめて、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)の卒業生に語った講義録です。企業のマネジメントとキャリアを中心とした人生のマネジメントについて、深い洞察にもとづく実践的な知恵が示されています。
クリステンセン氏のメッセージを私なりに要約すると、「人生で本当にやりたいと思うことに向かって進んでいきなさい」です。自分の人生の目的とは何か。生きるうえで最も大切なこの問いをないがしろにせず、「時間」「能力」「エネルギー」という誰にも等しく有限な資源を有効に使うにはどうすればいいのか。
自分のキャリアを長期的な視点で考えることは、とても重要です。そもそも、人生を長期と短期の時間軸で捉えたとき、数年後のキャリアのほうが予測は難しいのではないでしょうか。自分が30年かけて何を成し遂げたいかを考え、そこに向けた大きな道筋を描くことはできます。しかし、3年先、あるいは5年先の未来は、その時々に置かれている状況によっても大きく変化するからです。
私も財務省に入省したとき、5年後に英国の財務省に出向するなんて考えてもいませんでしたし、そこから5年後にニューヨークのマッキンゼーで働いている姿は想像もできませんでした。仮に当時、5年先のキャリアを100通り思い描いたとしても、その中になかったことでしょう。数年の自分の姿を予測すること自体はかくも難しく、大きな意味を持ちません。それよりも長期的な目標と計画を立てる営み自体に意味があり、大切だと考えています。
そうはいっても、人はどうしても、すぐに成果が出る世界に目が向いてしまうものです。これはクリステンセン氏の2つ目の質問にも関わりますが、仕事で昇進や昇給を目指すことと、家庭での子育てなど家族との関係を比べたとき、仕事のほうがわかりやすく短期的な成果が出やすいので、家族との関係は後回しになりがちです。
私自身、そのジレンマを幾度となく経験してきました。起業家の多くは、家族との時間を持ちたいと思っていても、特に創業期はどうしても事業に没頭せざるをえません。事業がある程度安定して、家庭に時間を使えるようになっても、そのまま家事や育児を後回しにしがちです。これは起業家に限らず、ビジネスの世界で戦う多くの人が直面する問題だと思います。
そこから抜け出すには、意識して自分を仕事から引き離し、パートナーや子どもに時間を注ぐための工夫が必要となります。私の場合は、夏休みや冬休みとは別に、積極的に休暇を取得すると決めており、家族と一緒に旅行をしたり、キャンプに行ったりすることもあります。その際、もちろん緊急連絡手段として電話だけは確保しておきますが、ふだん仕事で使っているPCなどは持って行きません。あえて仕事から離れる環境をつくることで、家族と過ごす時間に集中できるようにしています。
長期と短期のジレンマは、企業経営にも当てはまります。私たちのようなスタートアップは、ベンチャーキャピタルから出資を受け、リスクマネーでビジネスを構築します。スタートアップは、過去の延長線上で短期的な成果を上げるのではなく、長期的に大きなイノベーションを起こしていくことを求められています。日本では比較的短期の成果を見られることもある現実の中で、自分たちの会社をいかに長期志向で運営していけるか。短期的に成果が見えやすい活動にだけ経営リソースを割り振ると、長期的にしか成果が現れないようなタイプのイノベーションに、ある日、負けてしまいます。
これは、私たちが皆、向かい合わなければならない課題です。そして、クリステンセン氏の有名な著作である『イノベーションのジレンマ』の主要なメッセージでもあります。
キャリアや経営だけではなく、資産運用でも同じような現象が見られます。本来は長期的に資産を形成することが目的なのに、一時的にマイナスになるとやめたくなり、プラスになると引き出してしまいたくなるなど、どうしても短期志向になりがちだという悩みをよくお聞きします。その結果、長期的な運用に失敗してしまう人が多いのです。
この論文からは、私たちの人生のあらゆるテーマに共通する教訓が得られると思います。
キャリア形成のゴールは
自分のキャリアをマネージできること
伊賀泰代さんの「キャリアの成功とは何か」(DHBR2013年5月号)では、クリステンセン氏と共通する視点が、日本のコンテクストで語られています。
伝統的に、キャリア形成のゴールは収入や地位を上げることでした。しかし、伊賀さんはそうは捉えていません。伊賀さんは、キャリア形成には3つのステップがあると言います。ステップ1は「自分が職業人生で達成したい使命が明確になる」、ステップ2は「その使命の達成を自分の職業とできる」、ステップ3は「職業人生におけるコントロールを自分で握る」です。
キャリアをマネージできるとは、人生の自由を得るということだと思います。「自分の使命達成につながる仕事に従事できていても、大事な時期に家族との時間も確保できず、自己再生や自己投資に使う時間も取れないのであれば、それをキャリア形成の成功と言うことは難しい」とありますが、これはクリステンセン氏の主張と近いものを感じます。
どうすれば幸せになれるのかという視点で人生を逆算し、自分自身でキャリアをマネージできるような生き方を目指す。このメッセージは、とてもユニークであり、個人的にも強く共感しました。
私はこの論文を読む中で、伊賀さんの優しさを感じました。自分がやりたいことを仕事にすべしと口で言うのは簡単ですが、実践するのはとても難しいことです。「使命の達成を自分の職業とできる」ことが、キャリア形成のステップの2つ目に含められているのは、それがけっして簡単なことではなく、時間をかけて答えを出してもいいという、励ましではないでしょうか。私の場合も、15年かかりました。
というのも、仕事をするということは、自分自身が生み出した経済的な価値に対する見返りとして、報酬をもらうことです。言い換えると、価値を生み出せなければ仕事にすることはできません。サッカーが大好きでも、プロサッカー選手になれる人はほんの一握りです。多くの人は、別の職業に就き、そこからキャリアをつくっていくことになります。そして、そのうち自分にできることがおのずと明確になり、経済的な価値を生み出せるようになっていきます。
ただ、そうなっても、職業人生での使命を見出すのは簡単ではありません。やりたいことを見つけるには、時間も忍耐力も必要です。やりたいことが見つからないという焦りやジレンマを抱えながら、日々の仕事としてはできることを続けていく。現実との折り合いをつけながら考え、前進し続けていくことになります。
それがどれだけ難しくても諦めることなく、自分なりに考え続けることが大切だと思います。自分のやりたいことと職業を一致させられるのは、人生の中で仕事に使う時間が圧倒的な時間を占めている以上、非常に幸せなことだからです。
そして、時間をかけて使命を職業とした人に、あえてもう一段高い目標を提示するのも、この論文の特徴だと思います。使命の達成を自分の職業にできたとしても、そこで満足してはいけない。誰かにコントロールされるのではなく、自分自身でコントロールできるまでに至らならなければ、本当のキャリア形成とは言えないのではないかと、もう一つ上の要求をされるのは、伊賀さんらしいと感じました。
時間をお金で買える豊かさを
どうすれば得られるのか
アシュレー・ウィランズ氏の「時間とお金の幸福論」(DHBR2019年9月号)は、お金と時間という視点から、自由な生き方を考えるためのヒントを提供してくれます。“Time for happiness”、つまり時間が大事だというのがこの論文のキーメッセージです。
現代人は時間が足りないと言いますが、実際には、昔と比べると労働時間は短くなり、自由に使える時間は増えています。それなのになぜ、時間が足りないと感じてしまうのか。それは「ほとんどの人は長い目で見ればお金が幸福をもたらすと考えて、稼ぐために時間を使うという罠に陥っている」からであり、ウィランズ氏はそれを「時間貧乏」と表現しました。
日々の暮らしに精一杯であれば、経済的な豊かさを得て衣食住を充足することが喫緊の課題です。しかし、経済的にある程度の豊かさを得てからは、自由に使える時間をどれだけ持っているかが幸せにつながる。その時間を使って家族と楽しく過ごしたり、自分のキャリアを充実させたりするなど、人間らしい本質的な豊かさの源泉は時間になってきます。
私自身、経営者という仕事では常にやるべきことを抱えているので、時間をどうつくるかは大きな課題です。この論文では、時間をお金で買うことが幸せにつながるという研究成果を示していますが、家事を自動化する機械を使ったり、家事を外注したりするなど、お金を払えばやってもらえることをアウトソースして、自分の時間をつくるという発想は重要です。我が家でも、食洗機やロボット掃除機を使うようになったことで、家族の幸せの度合いが上がったように思います。
お金に振り回される人生を送らないためには、時間を買うという選択ができる程度に金銭的な余裕ができることも大切でしょう。私たちが提供する資産運用サービスはその問題解決にも貢献できると考えています。
なおこの論文では、タクティカルには「時間をお金買いましょう」というメッセージを発していますが、興味深いのは、発想がついに逆転していき、幸せになるにはどうしたらいいかという研究に向かっている点です。お金のみによって幸福になれるわけではないことがわかったうえで、どうすれば人間は幸せになれるのか、というテーマに方針転換したわけです。
※ここでご紹介した論文「プロフェッショナル人生論」の筆者クレイトン・クリステンセン氏は、本インタビュー後、2020年1月23日に逝去されました。心よりご冥福をお祈りいたします。