シアトルのセーラ

 セーラは太平洋岸の北部に育ち、カリフォルニアの大学に進んだ。卒業後、法人営業の仕事に就き、20代のときは全米各地を転々としたが、結婚を機に故郷のシアトルに居を構えることにした。

 31歳のとき、セーラは小さな会社のアカウントマネジャーの仕事に就いた。契約交渉の際、会社の育児休業方針の部分を読み、出産後に無給だが休業を取れることに喜んだのを、何となく覚えている。

 米国には統一的な育児休業制度がなく、有給で育休を取れる人は15%しかいない。だからセーラは、多くを期待していなかった。いざ子どもを持つことになったら、夫と2人で対処できると確信していた。

 2018年秋、セーラは妊娠に気づき、夫と大喜びした。妊娠第1期(3ヵ月)をすぎたところで筆者に電話をしてきた彼女は、これからの計画やいまの気持ちを、興奮気味に話してくれた。

 ところが数週間後に再び電話をしてきたとき、セーラの声は沈んでいた。小さな文字で書かれた会社の方針を熟読して、ワークライフバランスの専門家である筆者に相談をしたいと思ったのだ。混乱気味のセーラは、その雇用契約を読み上げ始めた。つかえて、黙り込み、もう一度読み始め……泣き始めた。

 彼女の会社には、従業員の出産後に育児休業を認めなくてはいけない法的義務はなかった。1993年育児介護休業法(FMLA)は、無給だが雇用は守られる休業を最大12週間与えなければならないことを事業主に義務づけている。しかし重要なことに、これは、すべてのケースに適用されるわけではない。

 FMLAには、「この休業を取得する資格を有するのは、その雇用主の下で12ヵ月以上にわたり勤務し、また12ヵ月間に計1250時間以上勤務した者で、その会社が50人以上の従業員を雇用する場所で勤務する者」と定めているのだ。さらに、もう一つ但し書きがあった。従業員は復職を保証されるが、休業前の職務とは限らない、というのだ。

 セーラの会社は、従業員数が50人を大幅に下回っていたが、無休で復職が保障された12週間の休業を認めていた。人事部のハンドブックは、これは非常に寛大な措置であることを示唆していた。ただし、従業員は出産前2ヵ月と、育児休業終了後の2ヵ月間、有給休暇や病欠を取ることが禁止されていた。

 電話越しに、セーラの声が苦しみから怒りに変わっていくのがわかった。彼女には年間18日の有給休暇がある(これはほとんどの米国人に認められている日数よりも多い)が、それを妊娠第3期や出産直後の1ヵ月に取得することはできないことになっていた。

 セーラにとって最善の選択肢は、出産後の6週間は高度障害給付(医療保険の一部だ)による休業を取得することだ。この期間は、給料の60%を受け取ることができる。その後、18日間の有給休暇の残りを使い、最後に12週間の無休の育児休業を取得する。

 状況を整理して、セーラは大いに安心したようだった。だが、妊娠を公表した直後、すでに子どもがいる友人に、いますぐ託児所探しを始めたほうがいいとアドバイスされた。

 託児所に空きができることはめったにない。ある程度安全で、手頃な料金の託児所なら、なおさらだ。このためセーラと夫は、妊娠第2期と第3期の夜や週末を使って、託児所を訪問し、多くの待機リストに名前を登録した。

 セーラは出産前日、つまり妊娠39週と3日までフルタイムで働いた。出産日も、午前中は働き、午後に病院に行き、翌日の夜に出産した。かなりの難産で2日間入院し、生まれたばかりの息子は短時間だが新生児集中治療室(NICU)に入った。出産から3日目、セーラは夫と共に息子を自宅に連れ帰った。

 ほどなくして、病院から電話があり、入院治療費の残額の支払い方法を提案された。保険でカバーされるのはごく一部で、約9000ドルもの自己負担があるというのだ。出産費用の分割支払いは一般的なことですよと、その病院の職員は安心させるように言った。

 家に戻ってから1週間で、セーラと夫は新しい生活のリズムをつかみ始めた。とはいえ、夫はフリーランサーだから、あまり多くの休みを取ることはできない。1日でも働かないことは、収入がないことを意味した。

 セーラの収入源と入院費の支払い考えると、あまり休んでいる余裕はなかった。夫が育児のために休んだのは、息子が生まれた日とNICUでの2日間を含め9日だけだった。